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Sapporo Chapter of Wild Bird Society of Japan

アオバト

神奈川県鎌倉市  井上 隆二

鎌倉市在住で、日頃は「かまくらB・W同好会」メンバーとして鳥を追い掛け回している私の下へ、日本野鳥の会札幌支部の住友さんから機関誌“かっこう”への投稿依頼の電話がありました。

私は3年前に札幌支部に入会させて頂きました。此れといった活動もしていない私が、鳥参上欄に拙文など、と思い辞退も考えましたが、素人集団の我が同好会の日頃の探鳥の様子を知っていただくのも何かのご縁と思い、寄稿させて頂くことに致しました。

「かまくらB・W同好会」は、鎌倉市教養センターの主催するバードウォッチング講座を修了した者で構成されています。この講座は1999年に開設されて、60歳以上の者を対象に一回に20名が受講、講師には鳥見歴30年の田中和作氏が当たられました。週1回3ヶ月の講座を終えた時、誰からとも無くこのまま終わるのは勿体ないとの声が出、結果20名全員で同好会を作り自主運営をしよう、という事になったのです。凡そ13年を経た現在、会員は115名で、探鳥会は定点定時観察を旨とする月1回の定例会と、会員の希望を入れた年間20回ほどのオプション観察会に分けて行い、この6月のオプション観察会は、6月14日に大磯の照ヶ崎海岸にアオバトの観察に行って来ました。

照ヶ崎海岸は、普段丹沢の山中に棲み木の実を餌として暮らしているアオバトが、不足がちな塩分を補給するために海水を飲むのにやってくる場所として知られ、この10年来毎年観察に来ている場所なのです。アオバトは北海道でも決して珍しい鳥ではないと思いますので詳細は省きますが、関東では群れで海水を飲みに来る場所はこの海岸だけではないかと考えられます。大磯駅に7時半集合、皆鎌倉を6時台に出発し幾分眠たげな目を擦りながら海岸に向かいます。海岸には既に地元のアオバトファンが20人ほども集まり、空を見上げたり、30メートルほど沖合いの岩礁に飛来するアオバトにカメラを向けたりしています。我々31名を加え総勢50名ほどが思い思いに陣取り、早速飛来数をカウントしたり、スコープの用意をしたりと大忙しです。羽の付け根がブドウ色の雄、背も羽も緑の雌、これ等が先を争って海水を飲む様は、命の尊さを感じさせます。大きな岩の右手の小さな岩には、ご常連のウミウが「忘れてもらっては困る」と、羽を拡げてアピールしていました。この数年必ず姿を見せ、仲間内では有名なウミウなのです。この日は、アオバトが約1,500羽(一度の最大飛来数約250羽)他にウミウやオオミズナギドリやトビなど、22種が観察出来ました。11時に海岸から次の城山公園へ移動し、森林の鳥の観察に移りました。

 近くは鎌倉市内の中央公園、遠方では富士山五合目や戸隠高原、渡良瀬遊水地などまで行っていますが、今後は青森や秋田、北海道まで足を延ばして新たな鳥の観察を楽しみたいと念じております。

2012年8,9月号

南極に行ってきました

服部 寛

第53次南極地域観測隊夏隊の一員として南極海の調査に参加してきました。南極観測隊員はご存知のように、観測船「しらせ」に乗って南極大陸に向かい、仕事を済ませて帰国します。私も26年前には、この経験をしたのですが、今回は「夏隊(海鷹丸)隊員」としての参加のため、期間中ずっと海の上での生活でした。

研究の目的は、地球温暖化の南極海生態系への影響を知ることです。大気中の二酸化炭素濃度は約百年後には現在の2倍以上になり、地球は温暖化すると言われています。表面海水の温度も高くなって軽くなり、ずっと表面にとどまるようになってきます。海面の水は波などで空気が混ざるため、徐々に海水の中の二酸化炭素濃度が高くなってくることは想像できると思います。この変化の顕著な海域の一つが南極海であると言われています。そこで人工的に作った百年後の海水環境の元での実験結果を現在と比較するのが仕事です。ここでは海鷹丸での経験したことを紹介します。

生活は、朝6時に起きて、6時半からラジオ体操、旅館のような朝食は7時半、12時に麺類やカレーのような昼食、夕食は17時半から肉系と魚系の料理が交互です。みな美味しいため、太る人も多いようです。しかし、調査は南緯40−62度の海域で、一般的に暴風圏と呼ばれ、「吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度」と例えられているくらい船が揺れる海域です。私の居室は船の中でも一番高い位置にある船長室の隣で、研究者の誰もが来たがらないほどの揺れる位置にあります。そのため、いくら美味しい食事がでてきても、船酔いのため、半分くらいの量しか食べることができませんでした。

ひどい船酔いの時に、私の部屋の一階上にある操船を行っているブリッジ(最上部)へ行くと視界が広がるためか、船酔いがおさまります。ブリッジで仕事をしている船員の方は海鳥の名前の識別に詳しい人が多く、私も色々教えていただけました。航海中に確認できた海鳥は、大きさと飛翔する姿に感動するワタリアホウドリからはじまり、マユグロアホウドリ、ハジロアホウドリ、ハイイロアホウドリ、南極海に入ったことを特に実感できたミナミオオフルマカモメ、ギンフルマカモメ、マダラフルマカモメ、ナンキョクフルマカモメ、ユキドリで、その他にもマダラシロハラミズナギドリ、ノドジロクロミズナギドリ、カオジロミズナギドリ(ミナミシロハラミズナギドリ?)、アカアシミズナギドリ、ハイイロミズナギドリ、アシナガウミツバメ、クジラドリの合計16種を観察することができました。
唯一の心残りが、航海中に一度だけ氷山の上にいた南極の鳥の代表、ペンギンを見ることができなかったことです。でも皆さん、世界で一番ペンギンの種数を多く見ることができる国が日本だと知っていますか。次は水族館に行こうかと思っています。

支部報「カッコウ」2012年7月号より

よく知ろうとすれば、もっと仲良くなれる

真駒内桜山小学校 教諭 岩崎 重明

小学生の頃から、野幌森林公園を遊び場としていたからなのでしょうか。森の中に身を置き、木や花の香、鳥や虫の声を楽しむことが常で、「自然は友達」と自ら話していました。ところが、実はその友達の姿かたちや、名前すらも、正しく知らずにいたのだということを痛感することになるのでした。

平成七年に「札幌市立駒岡小学校」という、森の中に建つ小さな小学校に異動になった時の事なのですが、そこでは、自然体験活動を通じて子どもたちの力を育む独自のカリキュラムがあり、学習はもちろんのこと、遊び時間までが森の中にどっぷりと浸る、今までに経験の無いものでした。

「先生、あれはハシブトガラスだから、気をつけて。」

「ユウレイタケ(ギンリョウソウ)見つけたから、教えてあげる。」

森の中に入ると、子どもたちが先生です。私にはほとんど教えてあげられることが無く、「へぇ。」「なるほど。」とただただ感心するばかりの毎日でした。

そんな私が唯一、子どもたちの目を輝かせる価値を与えてあげられることが「自然観察スケッチ」の時間でした。私の専門が美術ということもあり、野草や樹木、昆虫や野鳥の形や色をとらえるのは難しいことではなかったからです。但し、野鳥は動きが速く、遠くに止まっていることが多い上に、逆光で真っ黒にしか見えないため、シルエットや大きさは分かっても、羽の模様の形や色までは、なかなかとらえることができませんでした。

それからは毎日、野鳥の声が聞こえれば、その姿を目で追うになり、窓の外で動くものがあれば目を凝らし、姿をとらえたら特徴をメモするようになりました。ポケットサイズの野鳥図鑑を常に近くに置き、比べたり調べたりしているうちに、自然に知識が身につきました。写真で撮ることも挑戦したのですが、全然うまくいかず、お金ばかりがかかるので、水彩画で描くようになりました。これが子どもたちに大好評だったため、嬉しくて一年間で三十枚近くのスケッチを描きました。

あれから十七年経った現在も、昔ほどではありませんが、野鳥の絵を描いています。今では随分知識も増え、声を聞くだけで分かる野鳥も増えましたし、その姿もすぐ目で捉えられるようになりました。気のせいかも知れませんが、野鳥たちが私の視線を感じても、すぐに逃げなくなったようにも感じるのです。子どもと同じように、興味をもって、よりよく知ろうとすれば、自然に距離が近くなるのかなと思ってしまうのですが、皆さんはいかがですか?

筆者ホームページ「森のしずく」で野鳥の絵を紹介しています。
http://www1.ocn.ne.jp/~akagera7

支部報「カッコウ」2012年6月号より

バードソン回顧録

元バードソン山口リーダー 菱川 司

「バードソン」この言葉を札幌支部の新年会の席上で聞いた時、私はたまげた(山口の方言でびっくりしたの意味)。懐かしい思いと共に、当時のいろいろな経緯を想い出した。我が青春の一ページであり、我が探鳥会歴のビッグエベントでもあったから、家族にはいい年をしてと笑われたが・・・

二十七年前のある日、鳥友マイケルがジャパンタイムズのコラム欄にバードソン日本初挙行の記事を見て、私に電話してきた。山口チームを結成、山口には「八代」にナベヅルもいることだし是非参加して、いくらかでも基金が集まれば、「八代」のナベヅルの為に寄付しようと・・私は迷った。マイケルの意気込みは良し。しかし、果たして何人の人がこの分かりにくい募金運動に賛同願えるのか、メンバーは、どんなキャンペーンをすれば良いのか、難題ばかり・・・

しかし帰国間近のマイケルと妻のポーリンの強い熱意に、滞日中の思い出になればと、後込みする鳥見のベテラン小林、川瀬氏を口説き、山口チームを結成。二人は6月に観察される鳥のリスト作成、コースの選定を担当、マイケルと私がメディア等への広報他を担当。マイケルが既に結成、活動を始めている三チーム(北海道、東京、沖縄)に山口チーム結成。単独でも独自に挙行を伝えたら、何故かすぐ四番目の公式チームに認定され、新聞にも載り、責任が重くなった。
私も江別市在住のM・ブラジル氏やジャパンタイムズのC・クリス記者と日本で初めてのバードソンが成功裏に終わる様、何度も相談した。(後日、東京での報告会で二人と面談)6月15日の当日は午後9時出発、KRYラジオ局のアナも同行取材、と当日の事を書けば切りがない・・・紙面もない。結局、山口チームは当日55種類の鳥見で最下位、しかし募金額は50万円強でダントツ、支援者に感謝、感謝だった。私は当日後もチョウ多忙。結果の報告、集金、メディアへのお礼、ラジオ局からは「録音風物詩」の収録依頼等。当日の経緯やハプニング等を地方紙や〔山口野鳥〕に投稿したが、翌年バードソンが日本野鳥の会に引き継がれた際、初参加の各チームに参考資料として配付されたとの事、嬉しく思った。

翌年、日本野鳥の会主催の初バードソンが挙行され、さすが、多くの企業スポンサーを獲得、メディアにも大々的に報道され、NTTからは発売直後の自動車電話の提供を受け、皇室チームも参加など、大盛況、多くの鳥保護の基金を獲得、バードソンが末永く「成鳥」する事を願ったのだが・・・

しかし、バードソン運動は何故か約10回あまりで途絶。本部の方針変更?何故?私は過去何度か本部にバードソン再開を提案したのだが、応答なし。

今日、温暖化による環境問題、自然保護等、人々が地球規模で強い関心を持っておる折り、私はこの自然保護運動に必要な関心事と募金集めとして、実績のある有効なバードソンの再開を強く提唱したい。

支部報「カッコウ」2012年5月号より

はじめまして、タンコミです

タンチョウコミュニティ 代表 音成邦仁

釧路湿原北西部に位置する鶴居村は、厳冬期には500羽以上のタンチョウが集まる最大の越冬地で、繁殖期にも100羽以上が生息します。そんな「鶴の居る村」で、タンチョウコミュニティ(以降、タンコミ)は、2008年5月から活動をしていますので、紹介させていただきます。

タンチョウの生息個体数は、冬期の給餌活動を中心とする保護活動が実り、現在1,300羽超と順調に回復しています。しかし一方で、良好な繁殖環境の不足、それに伴う農地周辺に依存するタンチョウと人との摩擦など、問題も山積みです。このような問題の解決には、地域住民の主体的な関わりが非常に重要だと感じます。タンコミでは地域に根ざし、地域住民とともに活動をしていこうと、3つの顔を意識して活動しています。

一つ目は、「鶴居村を中心にタンチョウ保護に寄与する保護団体」です。タンチョウの最大の生息地にして、さまざまな問題の震源地でもある鶴居村での活動は、タンチョウ保護全体に対する影響力も大きいと思っています。二つ目は、「タンチョウ保護を切り口とした地域振興に寄与する地域団体」です。これからの保護活動は、地域住民が、タンチョウが地域に何らかの利益をもたらしていると実感することも重要だと思っています。三つ目は「タンチョウと人、人と人とをつなぐ仲介役」です。タンチョウの状況を、また専門家や研究者の考え方や活動の成果を、市民に知ってもらいたいと思っています。

設立当初から進めている「タンチョウのえさづくりプロジェクト」は、まさにタンコミの顔すべてに通じる活動です。酪農家さんから飼料用トウモロコシ(デントコーン)畑の一部をお借りし、そこでタンチョウのえさ用に種まきや収穫をさせてもらい、さらに乾燥させてほぐしたコーンを給餌場に寄贈しています。この活動を通じて、タンチョウ保護の代名詞ともいえる「給餌活動」に間接的ながら関わりを持つことで、タンチョウ保護のあり方を見つめ直すきっかけにしたいと思っています。また、さまざまな立場のみなさんの市民交流にも一役買っていると自負しています。

今後も、地域住民との協働を軸とした、小さな地域だからこそできる活動を通じて、タンチョウ保護に貢献していければと思っています。

タンチョウ コミュニティ

支部報「カッコウ」2012年4月号より

東京港野鳥公園ボランティアもがんばります!

日本野鳥の会監事 曽我千文

西岡水源地元日探鳥会に参加させていただいた、神奈川の曽我です。私たち家族の原点は北海道の野鳥、そして野鳥を話題に笑顔が輝く北海道の皆さん方との30年来のお付き合いが、今も私たちと野鳥との係わりを繋げています。

私たちにもできることをと、東京港野鳥公園でボランティア活動を続けてきました。埋立地に造成された汽水池と淡水池、里山の自然要素を持つ24.9haの公園です。野鳥の会のレンジャーが常駐しており、羽田空港にも近いので、ご出張等の際にお寄り下さった方も多いのではないでしょうか。

ここ10年、私たちが子どもと一緒に始めたのは、「公園探検隊」と銘打った、野鳥、水生生物、虫などをテーマにした定期的な観察会です。自然に触れる機会の少ない子どもたちに、自分で生き物を発見する喜びを楽しんでもらうことを目標にしています。以前、就学前の子どもが参加できる機会がないという声を聞いたため、対象年齢を5歳以上にしており、実際にも年長の幼児から3年生位の申込みが中心です。

この1月には、冬の定番『冬ごもりの生きものを探そう!』を行いました。池底の泥の中に隠れるアメリカザリガニを発見して歓声。地面に置かれた角材の下から現れるアズマヒキガエルの群れに悲鳴。朽木の中で眠るコガタスズメバチの女王に沈黙。一本の木についたオオカマキリ、ハラビロカマキリ、チョウセンカマキリの三種の卵を見分けて自慢。青空を見上げ、飛び去るオオタカの勇姿に嘆息。

虫博士の子どもは、ここぞとばかりに隊長顔負けの知識を披露してくれますし、親に連れられて下を向いていた子どもが、恐る恐るザリガニを触って、にっこり微笑む瞬間には、訳もなく「ありがとう!」と叫びたくなる喜びを感じます。

朽木で越冬するコガタスズメバチを観察子どもより夢中になってしまう親御さんも多く、スタッフに大人担当を配置し、より詳しい解説にも対応するようにしています。初夏の水辺で、草の茎を使った「シジミ釣り」をやった時には、飽きた子どもを尻目に「まだ帰りたくない!」と叫ぶお母さん続出でした。

何度やっても行事の運営は、段取りや、安全管理など常に新しい課題が起こりますが、久しぶりに参加した札幌支部探鳥会のあの温もりをお手本に、また来たいなと思える「公園探検隊」に育てて行きたいと思っています。

機会がありましたら、ぜひ東京港野鳥公園の不思議空間に、お立ち寄り下さることを心から願っています。

支部報「カッコウ」2012年3月号より

厳冬オホーツク・極北の天使

日本野鳥の会オホーツク副代表 渡辺義昭

オホーツクで「極北の天使」と呼ばれている鳥を知っていますか?
それはヒメクビワカモメです。
「それって何?」「そんな名前の鳥がいるの?」と思われた方は少なくないでしょう。
ベテランバーダーや、非常に熱心に図鑑を読み込まれている方を除いて、その姿をすぐに思い浮かべることはなかなか出来ないと思います。
そして、実際にこの鳥に出逢えた幸運な人は、残念ながらほとんどいないに違いありません。
ヒメクビワカモメとは主に厳冬のオホーツク海で、稀に、そしてほんの束の間しか出現しない珍しいカモメなのです。


北極圏の一部で繁殖するこの小さなカモメは、薄紅色の華奢な体から、目の覚めるような鮮やかな赤い足がちょこんと出て、小さく丸い頭には細く短い嘴と黒く大きなまん丸の瞳があります。
もしも何も知らずにこの鳥と出逢ったならば、カモメの仲間だと気付かない人がいるかもしれません。
バーダーはもちろん、鳥に無縁の人や、国籍・宗派を問わず人類であれば皆、このカモメを「可愛い!」と感じるでしょう。
また学名にrosea(バラ色)という名を冠しているところも魅力的であり、この鳥はカモメ界、それ以上に海鳥界の「天使」と呼ぶに相応しい鳥だと思います。
そんなところから日本野鳥の会オホーツク代表・川崎康弘氏が、ヒメクビワカモメの愛称を「極北の天使」とし、現在のオホーツクではこの名がすっかり定着しました。
私はこの鳥を2004-2005年から熱心に探すようになり、昨シーズンで7冬が経過しました。
これまでの経験に加えて長年の川崎康弘氏の調査から、ヒメクビワカモメは「強烈な北西風」が吹く時に出現することが解っています。
この北西風が暴力的であればあるほど出現する可能性は高くなり、少しでも軟弱な吹き方になると出逢える確率はほぼゼロになります。
海の波は高ければ高いほど良く、7〜9m以上という劣悪な場合に特に出現率が高まります。
初めてこの話を聞かれた方は驚かれると思いますが、ヒメクビワカモメは野鳥観察に最悪と言える状況の中でしか見ることが出来ません。
そして出現する時期は、例年11月末から1月中旬に限られています。
この鳥と出逢うためには「短い期間」の中で「劣悪な天候」を狙って、ひたすら海岸を探し続ける以外に方法はないのです。

たとえ全ての条件が揃ったとしても、残念ながら見られる保証は全くありません。
この鳥と出逢うためには、さらに「探す力」をしっかり持っている必要があります。
最近気付いたのですが「ヒメクビワカモメがいても見つけられない人」が意外と多くいるようなのです。
その「見つけられない人」の多くは「港内の堤防や砂浜で休んでいる大型カモメを見ているだけ」で、どうやら海上を飛んでいるカモメ類は目に入っていないようです。
ヒメクビワカモメはどんなに酷い天候であっても、陸上に舞い降りて休むことは滅多にないので、見える範囲の全ての鳥類を確認しなければなりません。
尚、このカモメは特に小さいので、本当に丹念に探さなければ見落としてしまいます。
劣悪な条件の中でも「絶対に見つけるんだ!」という強い信念が、もしかすると最も重要な条件なのかもしれません。

以上の全ての条件に「強運」がプラスされた時、荒れ狂う波間を縫うようにひらひらと舞い続け、時おり水面に降下して採餌する愛らしい姿を目の当りに出来るはずです。
「大波に巻き込まれて死んでしまうのでは?」と心配になりながら、過酷な状況を好んで飛び続ける天使の姿に、きっと誰もが感動するでしょう!
灰色の空に鉛色の海という無彩色の中で、極北の天使の薄紅色は本当に美しい。
もしも野鳥百景なるものを選定するならば「オホーツク海の荒波を舞うヒメクビワカモメ」はその一景に相応しいと私は強く信じています。

支部報「カッコウ」2012年1,2月号より

子供向き探鳥会・・・いいな

日本野鳥の会奥多摩支部 鈴木君子

「もしもし、鈴木さん、久しぶりです。臼田ですよ。」「北海道から電話しているの?」「そうそう、お願いがあるんですよ。寄稿してほしいのだけど。」「どんな内容、なにを書くの。」「子供探鳥会についてどうですか」こんな会話のやり取りで札幌支部の会報に「子供向き探鳥会」を送ることになった。

奥多摩支部として、わたしを中心に役員交代で初心者向きに「はじめてみませんか、バードウォッチング」を毎月開催している。これが子供向きにあたる。子供が中心とうたっているので、第一に子供に優しく解説もわかりやすくである。そして少々の雨天でも休まず、場所を考えながら安全なところで観察する。あまり暑くてあるくと倒れそうな日には日影のあるあずまやで紙芝居をしたこともあった。参加者はだいたい20人ぐらい、子供たちだけはなく、親子・昔の子供たちもいる。基本は丘陵と河川の同場所で午前中の2時間ていどであるが、学校の夏休み、冬休み、春休みなどにお楽しみ探鳥会で遠出をする。子供の喜ぶのは動物園、そこで容易にみることが出来ないもののひとつのフクロウたちをじっくりみる。また、園内にいる野鳥も穏やかで、以外とじっくりみられるので、親子共々人気がある探鳥会である。そうそう子供のリクエストで、昨年の夏休みに八ヶ岳のふもと探鳥会で柳生会長のいる八ヶ岳クラブへもいったのよ。その時は45人も参加者があった。夏休みに入って毎日猛暑なのにその日だけ雨天で高原は肌寒かった。子供たちにはソフトクリームをごちそうすると約束していたので、それでも寒い寒いと言いながらも食べたので印象深い行事だった。この探鳥会は何でもありの進め方である。

何年も子供を中心にした探鳥会をやっているが、中学生になると部活が忙しくなり来なくなる。でも楽しかった思い出があれば大人になった時にまた活動してくれると信じてやっているのだ。

その中に、大学生になっても休みになると参加してくれ、当支部がブロック会議の担当に当たった時、こころよく手伝ってくれた子(その時は大学生だから大人だね)がいた。ときどき野鳥の会本部の事務所にも顔を出してくれ、本部のボランティアをしてくれたこともあった。最近、彼女から沖縄に旅行したのでそのお土産ですと贈り物が届いた。もう来春から就職するという。成長した子供とこんなやり取りがあると、いつ実るのか見えない探鳥会でもやっぱり「いいな」と思える。

簡単な探鳥会だが長く定期的に続けることも大事と思っているが、一番いいのは、単調でない探鳥会を企画して担当の私たちが楽しんでやってることね。

支部報「カッコウ」2011年12月号より

鳥と両生類と爬虫類

徳田 龍弘

私は両生類や爬虫類(以後「両爬」)を撮影して調べています。両爬は野鳥とも関わりがある生き物で、「喰う、喰われる」という関係ではお互いに重要な存在です。

アオダイショウが木や壁を登って鳥の巣を襲い、ヒナを食べてしまうケースは、両爬が鳥を捕食する数少ない例の一つです。逆に鳥が両爬を食べるケースは意外と多く、例えばハチクマがヘビを持って飛ぶ姿を見かけることもあります。カエルに関しては、多種多様の鳥が捕食します(サギやカイツブリ、カラスや猛禽類など)。

野鳥が保護される際、個体の保護が優先される場合もありますが、生息できる環境を維持しなくては、せっかく増えても定着が出来ません。環境が適していなければ、より好適な場所を求めて移動してしまいます。好適な場所とは十分な食料を確保でき、身を隠すことのできる環境です。両爬を食べる鳥にとってそれは、両爬が住んでいける環境ということになります。両爬は移動範囲が狭いので、環境が壊れると次々と姿を消してしまいます。こうなってしまうと、これらを食べる野鳥も徐々に姿を消していきます。

数年前、日本でカエルツボカビ病がペットのカエルで発見され、野外で広がることが危惧されました。カエルツボカビは過去に中米やオーストラリアで野生のカエルの大量死や絶滅を引き起こしたためです。日本でも野外で確認されましたが、その後の研究でカエルツボカビはアジア起源の病気で、日本のカエルは一定の抵抗性があるのではないかと言われています。(ただし、実験感染させた日本のカエルでは死亡例もありました)
こうしたカエルの絶滅が起こると、鳥の移動経路が大きく変わる可能性もあります。こうした危惧はまだ終息しておらず、注意が必要です(日本でラナウイルスという別の病原体でカエル大量死が報告されています)。

トノサマガエル亜成体(北広島)カエルツボカビの世界への拡散は、人間がカエルを移動させて運んでしまった可能性が高いです。カエルを移動すること自体にも問題があって、北海道で言えばトノサマガエル(移入)ですが、北広島を中心に札幌や恵庭でも定着し、旺盛に増えています。鳥の餌が増えるという一面もありますが、カエルに食べられる昆虫や、在来のニホンアマガエルにとっては強敵が増えている一面もあります。またアズマヒキガエルも函館、室蘭、旭川、札幌周辺でも確認されています。捕食問題もありますがヒキガエルは有毒種なので、ヒキガエルを知らない道内の動物が食べ、健康被害を起こす可能性もあります。室蘭ではカラスがヒキガエルを裏返し、毒のない内臓を食べる姿を見たりもしましたが、これも学習によるものと思われ、一度は痛い目に遭っているのだと思います。

みなさんも野鳥の増減を肌で感じることもあると思います。植物相など目に見えて環境が変わると原因がわかりやすいのですが、周りにいる小さな動物たちの動きも原因になりうるので、他の生き物もぜひ観察してみてくださいね。

支部報「カッコウ」2011年11月号より

釜石津波被害杉の伐倒支援ボランティア活動に参加して

アトリエ・キヨ 川上 清泰

三月十一日の東日本大震災から半年が経ちました。
今でも、あの悲惨な光景が昨日のようにテレビ画面から放映され見ることがあります。その度に、人間の力ではどうすることもできない「自然の驚異」と「むなしさ」を感じます。

そんな悶々としていた時に、釜石を中心に震災支援ボランティア活動をしている北海道の団体から「津波被害にあった杉立ち木の伐倒支援」の要請がありました。普段は、森づくりや自然観察、子供たちとの自然体験活動のお世話をしていますが、夏休みのスケジュールが終了した時期ですから、要請を受けることにしました。大急ぎで「樵」の準備し八月十二日苫小牧からフェリーに乗り込みました。

支援の場所は、釜石の根浜(ねばま)海岸地域です。漁師のMさんの山林も津波被害を受け、その内「津波被害で立ち枯れした杉三十本から四十本を伐採して欲しい」との内容でした。

この根浜地域は、三陸海岸特有の松林に囲まれたリアス式海岸で観光地としても有名なところです。震災直後のテレビ中継で登場した「ホテル宝来館」があり、夏はビーチとして沢山の家族連れで賑わいます。また、この海岸は、小さな漁港もあり、沖合いで「わかめ」、「かき」の養殖が行われていました。

八月十三日釜石に到着、早速現地に向いました。崩壊した家々と道、瓦礫の山、破壊放置された自家用車など、どれもこれも今までテレビで観た光景とは比較にならない無残な光景が次から次と迫って来ます。横目に入る穏やかな景色とのギャップの大きさに「これは何なんだろう!」って、段々、理解出来なくなります。

現地に着き、Mさんの案内で早速「津波被害にあった杉林」の調査をしました。基礎だけ残ったMさん家跡で「この集落は全部津波に流された。残ったのは家の土台だけ。まだ、この集落で六人行方不明だよ」と津波被害の実態も語ってくれました。周りは、杉林に囲まれています。何か変だと、すぐに気づきました。それは夏なのに高い杉が枯れて茶色に変色している。そんな杉林が海岸線に沿っていたるところに見られます。

三月十一日、この小さな集落に、杉の天辺までの(15mから20m)津波が押し寄せて、約60世帯の家々など、すべてを破壊しました。津波被害1ヶ月で、杉の枯れが始まりどんどん増えているそうです。秋にはもっと増えると言ってました。

猛暑の中、八月十三日から十六日まで、杉の伐採な どボランティアをしました。伐倒目標をクリアーして、土砂と塩にまみれた津波被害の杉100本を切ることができました。

Mさんは、「前のように、この森が戻るのはいつだろうか」と言ってました。現地では、復旧が行われていますが、進んでいない感じがします。また、今回は津波被害だけではありません。「福島第一原発事故」の放射能汚染も心配と言ってました。放射能は、今でもすべての土地に降り注いでいます。

森だけではなく、将来、この海岸沿いに人が住み以前のような姿に戻るのは、かなり先のような気がします。

三月十一日以降、自分を取り巻く環境が大きく変わり、今までとは違った意識で森や自然と向き会うことを教えてくれたと感じた今回の支援ボランティア活動でした。

支部報「カッコウ」2011年10月号より