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Sapporo Chapter of Wild Bird Society of Japan

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夢は果てなく(学校ビオトープに寄せて)

土屋 尚

最近になって、僕の仕事に関係して、学校ビオトープに関する相談が届いている。ビオトープとは「生物の生息空間」というような意味。小さな池を中心に雑草園のような空間を設けて、なるべく多様な動植物が生息する場にしようというものだ。学校ビオトープは、このビオトープを学校敷地内に設け、学びや遊びに活用してもらうのである。

札幌市では、04年度までに各区の小学校から一校、計10校の学校ビオトープ整備が計画され、いくつかは既に実現している。まだ検討中の学校もあり、そんな相談が届いているわけだ。04年度以降も、さらに多くの学校ビオトープがつくられるに違いない。

相談に行ってみると、地域の重要性を痛感させられることが多い。生態的に安定した空間を考えるなら、少なくとも数十年は視野に置きたいから、今の学校にいる子供や先生より、地域の将来を考えたくなるのだ。ビオトープの目標となる自然の姿を検討するためにも、古老の話しなど、地域情報は重要である。ところが、急速な発展を続けている札幌市では、そんな期待に応えられる地域がどのくらいあるのか、あまり自信が持てない。

準備や計画が済めば、池を掘ったり、細かな造成の作業。労力は大変でも、これは「お祭り騒ぎ」という感じ。予算次第というところか。問題は、造成後に再びやってくる。順調に動植物が生息しはじめてくれるか、帰化植物が侵入したりして目指すような系とかけ離れていかないか。予想どおりじゃなくても多少は仕方ないけれど、メダカを「飼いたい」とか、家の金魚やカメを放すとか、それが駄目であることを子供たちに説明するのは相当に難しい。そもそも、先生や地域の人々だって、理解してもらえるか疑問だ。

いつか気付いたときには、ただの箱庭のようなものになりゃしないか。そんな不安を感じながらも、関わらせてもらっている。それは、ちょっと遠大な、夢があるから。

学校ビオトープは、まだはじまったばかりで、今のところ各区に一校しかない。多少の地域性は反映されたとしても、札幌市内なら、ほとんど似たような動植物で構成された空間を目指すことになると思う。もちろん、それはそれで、悪くない。でも、もし、もっと多くのビオトープがあり、ビオトープ間が少しは連続するようになっていたら、どうだろう。例えば、厚別川くらいの流域内なら、上下流のビオトープで別の動植物群集を目指す方が良いはずだ。各校のビオトープの中核にある水辺だって、貧栄養や富栄養、流水や止水など、いろいろ工夫しなければならない。そして、そんな多くのビオトープが連動することが、結果的に広域的な地域生態系の保全にも効果を発揮するかも知れない。

ネットワークしている自然。大きなネットワークの中にある、目の前の小さな水辺の位置付け。そういう「つながり」の意識が、自然だけではなく、隣接地域の人々や生活の意識にもなれば、…。

夢は果てないのである。

支部報「カッコウ」2003年8・9月号より