「嶮暮帰(けんぼっき)島の10年の変遷に思うこと」
道東の浜中町にある嶮暮帰島に初めて渡ったのは、10年前(1999年)のことでした。ムツゴロウこと畑正憲氏が無人島記という本を書き、ヒグマと一年間生活したということで有名になった島です。私は当時札幌で働いていたのですが、恩師の調査の手伝いで嶮暮帰島に行ったことがきっかけで、その後独自に嶮暮帰島へ調査に行くようになり、それが高じて4年前から嶮暮帰島が見える霧多布湿原センターに江別から単身赴任で勤務しています。
嶮暮帰島は岸から約1kmの沖合にあり、長さ約1.5km、幅約600m、平均標高45mの台地状の島で、かつては7世帯約20人が昆布漁のために生活していました。1975年までは通年住んでいた人もいましたが、基本的には昆布漁が行われる夏場だけ滞在し、年間を通じて完全に無人島になったのは2000年からです。海岸で人が住み、昆布を干し、台地部では、かつては牛や馬を放牧し、畑も作っていたので無人島といっても原生の自然というものではありません。1999年の調査では鳥類43種、哺乳類3種、植物は232種が確認されていますが、固有種がいるわけではありません。エゾカンゾウ、ヒオウギアヤメ、スズランなどが咲き乱れ、ハヤブサ、オオジシギなどが営巣し、夏場にもオジロワシが飛来し、ウミウやオオセグロカモメの集団営巣地もありますが、この辺では普通の景色です。
初めて島に泊まった時、昼と夜はこんなに違うのかと驚きました。日中の鳥の囀りは心地よく睡魔をさそうくらいですが、夜はコシジロウミツバメの鳴き声で20時から翌3時頃までうるさくて眠れないほど。当時の個体数の推計最高値は2万ペア、有名な厚岸の大黒島には遙かに及ばないものの、笹が繁茂していない島の約半分にはコシジロウミツバメの巣穴がいたるところにあるような感じでした。しかし日中はその存在がわかりにくいので、そのことを知らない地元では観光客に自由に歩かせていました。たぶん多くの巣穴を踏み抜き、コシジロウミツバメに影響を与えていたことでしょう。この状況を知った浜中町は島の利用制限に踏み切り、入島に際しては届け出制でガイドなしの入島は許可しないなどの対策をとって5年が経過しています。
私は、2003年に海岸で世界最小級の哺乳類、トウキョウトガリネズミを捕獲してからは、島での調査はもっぱら海岸線でほとんど台地上の部分には行きませんでした。気がついたら人が全く利用しなくなった台地上の部分にウミネコのコロニーができ、このコロニーを狙ってオジロワシが10羽ほど飛来するようになりました。人が全く利用しなくなった地域では草丈が伸びスズランは見られなくなり、ウミネコの糞で汚れ全く景観が変わったと思えるほどのものになっていました。またコシジロウミツバメは減少しているように思えます。
その変化は10年前の心地よいと思えた私の原風景からは、ある意味環境が悪化した感があります。人間の影響が少なくなったことで、より自然の摂理に委ねられた結果ですが、それは生息種の衰退や人にとって心地よい環境にはならないというジレンマに耐えるということでもあるようです。保全・保護という行動や思いには、その場所と係わった内容と度合いで変わるような気がします。利用制限をして5年を経過したので見直し作業に入っています。地元の人がどのような判断をされるのかとても興味深いものがあります。私としては、一般的に海鳥の繁殖についてはあまり知る機会がないことから、現状の遷移を維持しつつ多くの人に海鳥を知ってもらう場所であり続けていてほしいと思っています。

支部報「カッコウ」2009年4月号より
