*

Sapporo Chapter of Wild Bird Society of Japan

Home

団地の自然、今昔

札幌支部会員 湖川敦子

私が20代から暮らしている石狩市花畔(ばんなぐろ)団地の歴史を遡っていくと、縄文時代は石狩川の河口であり、エリ(注-1)を用いてサケ漁を行っていた地です。今でも春になると、川の記憶がよみがえり道路の同じ場所が陥没する地域です。

明治中期から始った移民開拓や原野の払い下げ等により明治・大正時代は酪農地として活用され、昭和に入ってからは時代の要請に応え、水の貯えが難しい海浜砂地にも拘らず水田へと転換、並々ならぬ苦労の末に戦後は良質米生産地として知られるようになりました。

ところが、昭和40年代に入り高度経済成長による札幌への爆発的な人口の集中と農家の後継者不足が重なり多くの農地が大規模団地(ベッドタウン)へと変貌したのです。

働き盛りの30・40代の家族を中心に一斉に入居が始まり、私達も1978年10月29日に越してきました。その夜、10cmほどの積雪になり、次の日から往復2時間余りかけて雪景色の中を通勤するという慌ただしい日を送っていました。

春になり札幌では百花繚乱、鳥(当時はカラス・スズメ・ハト・カモメ位しか知らず、わからず)や虫も賑やかに生を謳歌する季節になりました。でも、我家の周りは静かです。この不思議な感じの原因は、春の陽射しがあるのに蝶もスズメもいないことだと分かり愕然としました。1区画、100坪程あるとはいえ、造成地の土を5cmも掘ると、砂地で、しかもほとんどの家の庭作りは始まっていませんでした。戸外では強い風と共に黄砂が大陸から容赦なく吹きつけてきます。昔の砂丘を利用した、池のある近くの公園の樹も街路樹も育ちが悪く細々としたものだったのです。

そうとはいえ、高い建物がない空で繰り広げられる、ドラマチックな夕焼けの素晴らしさと瞬く星や月の美しさ。空を見上げる楽しさを覚えたのもこの頃です。やがて、10年程経つと樹々は立派な木蔭を作るようになり、あまり手をかけていない我家の庭でも桃の木がいくつかの実をつけるまでになりました。

その頃には、シジュウカラ、カワラヒワ、アカゲラ、ツグミ、シメ、カケスと、様々な鳥が目を楽しませてくれるようになりました。近くの川原で真っ黒な頭で胸がオレンジ色の名も知らない小さな鳥(ノビタキ♂)を見た時の驚きと胸の高鳴りは今でも忘れられません。数年前からは、公園の池にアオサギが来るようになりました。

しかし、2004年9月の台風で、剪定され続け根元からほとんど同じ太さになっていた街路樹が何十本も根こそぎ薙ぎ倒されました。昨年春には、公園でのびのびと立派な大木に育っていたドロノキが「雌花による被害届け」を出され、切り倒されました。

団地となり30年以上、成長を楽しみに育ててきた庭木も、大きくなり過ぎた、車庫スペースにする、流行りのガーデニングにする、更地にするなどの理由で緑が失われています。また、秋になると、街路樹の剪定が入り、実が付いているナナカマドまでバッサリと切られてしまい、やがて渡ってくるツグミやレンジャクを思うと胸が痛みます。ムクドリとヒヨドリは増えているような気がしますが、ここ数年、カッコウ、エゾセンニュウはめっきり減り、カケスやオオアカゲラは姿を見せなくなり、シジュウカラは漸減傾向です。

何処でも私たちを取り巻く環境は変化しながら様々な営みを続けていますが、野外で見上げる空や、耳を澄まして聞く音は、いつも期待で胸膨らむものであって欲しいと願っています。

支部報「カッコウ」2009年3月号より