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Sapporo Chapter of Wild Bird Society of Japan

秋深し、今日この頃

酪農学園大学環境システム学部生命環境学科 上原裕世

夕方に大学へ向かうと、歩道沿いの雑木林から鳥の声が聞こえた。自転車を止めてそちらを見ると、ヤマガラやシジュウカラの混群が、木々の間を飛んでいた。
最近とみに寒くなり、この辺りはすっかり秋の装いだ。大学に隣接する野幌森林公園も、鮮やかに色づき、林内を歩くと思わずウキウキしてしまう。昨年ここらの木の実は不作だったが、今年はなかなかの豊作のようだ。
その雑木林も、ヤマブドウがたわわに実っていた。だが、ここでちょっと気になるのが鳥たちの食欲である。幼い頃から、ヤマブドウは初霜が降りてからが美味しいと、そう聞いてならってきたのだが、果たして今年は初霜まで残しておいてくれるのか…。「取っておいてね!」と心の中で思いつつ横目に見つつの通学が、ここ最近の日課である。
日頃から、身近なところに鳥たちがいる。早朝は野幌森林公園から声が聞こえ、大学敷地内のデントコーン畑は、すでに刈り終えてムクドリたちの食餌場所となっている。そう言えば、あと何日もしない内に、寒空からマガンやハクチョウたちの渡りの声がするだろう。

当り前のように、日々自然を肌に感じているが、実はその「自然」の定義が難しいと、最近強く思う事があった。
今年に入ってから、ゼミの先輩方の調査手伝いとして、また、大学が洞爺湖町と協定を結んだこともあり、頻繁に洞爺湖町を訪れている。今は鋭意、中島のエゾシカや土壌、洞爺湖の水質、特定外来生物のウチダザリガニなど、様々な分野に関する調査・研究が行われている。個人的にも、中島のシカ事情に非常に興味がある。中島では外から持ち込まれたシカが増えすぎ、植物が片っ端から食害を受けている。しかし美味しくないのだろうか、ハンゴンソウやフッキソウ、フタリシズカ等だけが残され、同じ種類ばかりが繁茂する、奇妙な植生が広がっている。その様な変化があれば、もちろん他の昆虫類や鳥類にも偏りが生じる訳で…こういった調査・研究も行われている。全国各地、世界遺産の知床でさえ問題となっている「増えすぎたシカ問題」について、私自身も何らかの形で携わりたいと思っている。
前後したが、さて、ここで本当の「自然」とは?と考えさせられた出来事をば。
先日、洞爺湖町の小学校の先生と話す機会があったのだが、中島でシカを見た子供たちは、『凄いね大きいね、自然が豊かだね』といった反応をすると伺った。
でも、ちょっと待ってほしい。今の中島の状態は、決して「自然」ではない。シカは人為的に入れられたものであるし、孤立した島内では餌が不足し、体のサイズは知床や道東のシカと比べ見るからに小さい。森の中の植物も、食べ残された一部の種類しか生育していない。これをただ、自然だと観賞して良いものか。
こういった状況で必要なのは、それを教える人達の存在だろう。いわゆる環境教育ということだが、それは子供たちへだけでなく、地元の大人の方へも、現状の説明や普及啓発が重要だと言えるだろう。いずれは私も、中島の自然を守るべく、そういった活動へも協力していきたい。幼い頃、西岡公園に通い、様々な自然の素晴らしさを教えて頂いたように…。

何はともあれ、今後の酪農学園大学の研究、調査の続報に乞うご期待!

支部報「カッコウ」2009年11月号より

図書館でバードウォッチング

平間一平(会員)

バードウォッチャーの書棚にはどんな本が並んでいるのでしょうか。雑誌などの特集で作家の書斎が紹介されていると、つい書棚に目がいってしまいますがこれと同じ興味がつきません。

まさか他人の家に入り込み、書棚を見せてくれともいえないでしょうから、今回は街の図書館を、本好き愛鳥家の書棚になぞらえて、”バードウォッチング”をしてみることにしました。

個人の書棚とちがって図書館の書棚には、本がジャンルごとに分類されています。数字の0から9で内容がちがっており、われらが目指す”鳥の本”はというと4(自然科学)のなかの生物学のコーナーに多くが収められています。いい本がありました。

  • 羽 原寸大写真図鑑 高田勝・叶内拓也 文一総合出版
  • 原野の鷲鷹 北海道・サロベツに舞う 富士元寿彦 北海道新聞社
2(歴史・地理)の棚を見ることにします。ここには伝記もふくまれています。

  • 野の鳥は野に 評伝・中西悟堂 小林照幸 新潮選書
7(社会科学)には写真もふくまれていますのでこんな写真集。

  • ハクチョウ 日本の冬に生きる 本田清 平凡社
辞典・図鑑類などは館外持出し禁止になっていますが、そのコーナーにも”鳥の本”はあります。

  • 増補改訂版日本鳥類大図鑑?〜? 清棲幸保 講談社
  • 原色日本野鳥生態図鑑 清棲幸保 保育社
このほかにも全集のコーナーがあります。今回は収蔵されていませんでしたが「定本野鳥記 中西悟堂」などはここに並べられるはずです。こんな本をみつけました。

  • ちくま文学の森 動物たちの物語 筑摩書房

    「文鳥 夏目漱石」、「雁の話 中勘助」などが収められています。
街の図書館で楽しいのは、子供コーナーというのか児童書です。範囲が多岐にわたっており、いわゆる(自然)の棚にはたくさんの”鳥の本”があり、大人も十分に楽しめます。

  • カラー版自然と科学 北国のカモメ 江川正幸・橋本正雄 岩崎書店
  • 動物たちの不思議な世界シリーズ フクロウ 日高敏孝監修 文理
読み物もいろいろありますが定番二冊。

  • ツグミたちの荒野 遠藤公男 講談社
  • ウトナイ湖サンクチュアリ物語 大畑孝二 ひくまの出版
特に分類もなく(大型の絵本)コーナーを見るとこんな本がありました。

  • しまふくろうのみずうみ 手島圭三郎・絵と文 福武書店

写真 児童書の棚

バードウォッチャーは自然全般に興味があるはずで、こんかい見てきました”鳥の本”以外にも植物や動物の本を書棚に並べているはずです。読書をすることでバードウォッチングも厚みをましていくことでしょうね。

支部報「カッコウ」2009年10月号より

アオイガイハンターのライバル

いしかり砂丘の風資料館 志賀健司

アオイガイハンターの朝は早い。夜明け前には砂浜に到着し、空が白み始めるころにはもう歩き出す。

アオイガイとは、殻を持ったタコ。カイダコとも呼ばれる。その殻は半透明になるほど薄く、軽さはまるで紙のようだ。英語ではpaper nautilus(紙のオウムガイ)と呼ばれるほど。熱帯〜温帯の海の表層近くを浮遊して生活し、メスだけが殻を作ってその中で産卵して卵が孵化するまで守る。アオイガイは、西日本の日本海側では、北西季節風が吹き始める秋から冬にかけてアオイガイの漂着がよく見られる。北海道の海岸で見つけることはこれまで滅多になかったのだが、2005年から漂着例が急増した。それ以降、石狩浜だけでも毎シーズン100個以上は確認している。ここ数年、日本海の秋の海水温が平年より2度近くも高いことが直接の原因らしい。

アオイガイ

ビーチコーマー(beach-comber)と呼ばれる漂着物採集に燃える人たちの中には、アオイガイに取り付かれた人も多い。その中でも「アオイガイハンター」の異名を持つのが、札幌のIさんだ。彼はアオイガイのやって来る秋になると、休みの日は毎日、朝から晩まで石狩周辺の浜のアオイガイを求めて歩き回る。砂丘の風資料館で展示している大量のアオイガイは彼が採集したものだし、僕の研究(アオイガイの漂着と大気・海洋環境との関係)も、Iさんの標本とデータがなければ成り立たない。

そんな我々にライバルビーチコーマーは多い。コハクやメノウなど宝石系を狙う女性、漂着貝類を追い求める大学教授、自宅の周囲を漂着物で飾り付ける元漁師…。浜辺に降りて足元に漂着物を辿る新しい足跡を見つけ、先を越されたことに気づいた時は絶望的な気分になる。しかし、彼らを出し抜くのはそれほど困難ではない。朝ちょっと早く行動を開始すれば、大抵の場合、誰の足跡もない砂浜を歩くことができる。

首尾よく砂浜に一番乗りして漂着アオイガイを見つけても、しかし、殻は無残に壊れていることも多い。というより、無傷な完品のほうがめずらしいくらい。誰がこんなヒドいことを!とワナワナするのだが、これは、殻の中のタコや卵を狙うカラスやカモメに突かれてしまった跡。こっちはタコはいいから殻だけ無傷でくれればそれでいいのだが、そうはいかないらしい。アオイガイハンターの最強のライバルは、鳥なのだ。

それなら、と思って鳥がまだ出てこない早朝も早朝、夜明け前のギリギリ歩ける程度に明るくなってくる頃を狙って浜を歩いてみると…。無傷のアオイガイ、あるある。しかもタコ付き。すでに死んでいるタコもいるが、中にはうねうねと脚を動かしているものも。薄明の中でのその光景、まだまだ人知の及ばぬ海の神秘を垣間見たような気分になる。そして、タコはIさん宅でバター炒めとなり、アオイガイコレクションはまた追加される。多くの手強いライバルに競り勝った満足感。
今年も間もなく、アオイガイハンターとライバルたちの競争が繰り広げられる…。
(※もしアオイガイを拾ったら日と場所、サイズなど教えてくださいね。)

支部報「カッコウ」2009年8,9月号より

常連さんと一見さん

石狩鳥類研究会 樋口孝城

若い頃は随分とお酒を飲みました。行きつけの店もありました。その店には二日とあけずに来る人もいたようでした。時々というか、忘れない程度に顔を会わせる人もいました。それぞれに店に来る頻度の差はありますが、いわゆる「常連さん」というところです。

店主の応対振りから、来たのは初めてと思われる人も時にはいました。「一見(いちげん)さん」です。常連さんと一見さんに対する店主の対応はだいぶ違っていたようです。常連さんにはずっと常連でいてほしい、一見さんにはそのうち常連になってほしい、なかなか苦労しているようでした。でも、一見さんの中には土地の人ではない人もいるはずです。そのような人はもう二度と来ないかもしれません。高級な店によっては「一見さんお断り」なんていうところもありますが、一般の店では一見さん歓迎でしょう。その一見さんを酒菜にしてみんなで盛り上がるというのも想像されます。

少々長い枕から鳥の話に行きます。言うまでもなく常連さんは普通に見られる鳥です。ただし、一年中の常連(留鳥)、季節の常連(夏鳥、冬鳥、旅鳥)がいます。また、山林の常連、草原の常連、海の常連、河川・湖沼の常連など、場所によっても顔ぶれが違います。それぞれの店にそれぞれの常連がいるのと同じです。

十数年前から私はたくさんの鳥好きの人達の協力を得て、北海道石狩支庁管内の野鳥の毎年の確認記録をまとめています。戦前の古い記録などを除いて、これまでに三二〇種近くの野鳥の生息・飛来が確認されていますが、そのうちの七割近くの約二二〇種が常連さんで、残りの多くは一見さん、あるいは一見さんもどきです。十年、二十年以上も前に一度きりで、後はご無沙汰という鳥も十種ほどいます。

一見さんの中には、その珍しさから多くの観衆を呼び、たくさんのカメラに収められたものが少なからずいます。種によっては、あたかも飛来場所の象徴種であるがのごとく長く語り継がれたりします。でも彼らのほとんどは迷鳥で、偶然や事故の産物です。基本的に石狩の鳥社会に大きな影響を与えるものではありません。石狩の鳥社会を支えているのは、多くの常連さんです。本当に大事なのは常連さんです。

その常連さんにも少しずつ変化が起きています。店の中央で華やかにその存在を誇示していたシマアオジはどうなってしまったのでしょうか。片隅でひそやかにチリリリリと遠慮がちにしていたマキノセンニュウ、時々アジャパーと奇声をあげていたウズラ、彼らも気がつけばめっきりと顔を出さなくなってしまいました。

代わりにカワウやミヤマガラスが常連の仲間入りをしました。どんな店にでも常連の移り変わりがあるのは世の常です。でも、地域鳥社会でのそれは、何か良からぬ自然変化、人為的環境変化を感じさせます。ともすれば地球温暖化と結び付けられそうですが、まだまだ推論の域を抜け出せません。人間社会においては常に何らかの変化・改革が求められるでしょうが、鳥社会においては変化よりも安定です。いつもの鳥がいつもの場所でずっと見られるのが何よりです。

支部報「カッコウ」2009年7月号より

身近な鳥の存在と記録

北広島市 一北民郎

近年,北海道で,以前はみられなかった鳥でも観察される機会が多くなったものもいれば,ほとんどみられなくなったものもいます。また,ある地域では,あまりみられなかった鳥が,よくみられるようになったものもいますし,越冬していなかった鳥も,今では冬に観察する機会が多くなったものもいます。このように,鳥の生息状況は,数年から十数年のスパンで振り返ってみても,変化していることは皆様もご承知のとおりだと思います。

具体的には,以前みられなかったが最近みられるようになった鳥としてダイサギ,最近みられなくなった鳥としては,シマアオジやアカモズが最も知られていると思います。

私は草原で鳥をみる機会が多く,本格的に鳥をみはじめてから約10年とまだまだ日は浅いですが,アカモズはみる機会が減ったなと感じています。また,アオサギやムクドリは冬期にみる機会が増えたのではと感じています。

私も含め,皆様が「ある鳥をみる機会が増えた,減った」と感じていることに大きな間違いはないとは思いますが,昔の記録を調べてみると具体的にどの程度変化したかを知ることは難しいです。では,自分の観察記録はというと具体的な個体数をはじめ,他の観察記録と比較を考慮した記録ではなく,使えないものでした。

鳥の観察は,その目的に応じて,対象種を絞った本格的なものから付近に生息する鳥類相を把握する調査に加え,簡単に鳥を観察するものまで様々です。

現在,私自身も注目している種を観察しながら,他の鳥も観察していますが,個体数が多かったり,付近を何度も横切られたりしていることが多いものは,ついつい観察された鳥の種名のみを記録するだけです。

しかし,鳥類の個体数や観察頻度の変化などが話題にあがる時,よく観察される鳥(優占種)が,見方をかえると観察場所の現状をあらわしていることから,これらの身近な鳥の観察記録というものが重要になるのではと感じることも多くなりました。

最近では,スズメが冬期に大量に死亡したことが話題となりましたが,その際,過去にスズメの個体数を把握した記録があるのかなあと思っておりました。その後,スズメを含め,以前,市街地付近の鳥類相が調査されており,近年と比較している報告をみることができました。その時,改めて基礎的な情報収集の重要性を思い知らされました。

残念ながら,私はここで具体的に身近な鳥の情報収集の方法を示すことはできませんが,多くの方に,身近な鳥の観察記録の重要性を認識していただきたいと思います。そのことが,10年,15年後の長いスパンで考えた時,鳥の観察状況の変化を捉えるうえで意味のある情報が多く集まることにつながると私は思っています。

このことは,注目度が低いかもしれませんが,ある特定の種の生態などを解明していくことと同様に重要なことなのではと感じています。

そのため,探鳥会をはじめ,皆様の観察記録は,のちのち重要な情報となるかもしれません。記録のとり方はもちろんですが,データ整理していただいておくことも重要だとこの文章を読んで,少しでも感じていただければ幸いです。

支部報「カッコウ」2009年6月号より

謎をはこぶ桜鳥

山田三夫

桜開花情報は東京の結果を伝えて以来は、いつものことだがあまり報じられない。まあ少し前の台風情報と同じあつかいということで、あとは札幌で咲くのを待ちなさいということなのか。
さてみなさんは“桜鳥 さくらどり”をご存知だろうか。わが家の「広辞苑(二版補訂)」には記載がない。「コンサイス鳥名事典」をひくが記載なし。ではではと「野鳥の事典 清棲幸保」を持ち出して見つけました。ムクドリの俗名として『さくらどり・むく・もくどり・むくわり・むくくい』と書かれており、やはり “清棲事典”は俗名に強い。

で謎というのはここからです。つづいて「知里真志保 分類アイヌ語辞典 動物編」でムクドリを調べました。§302にムクドリ;サクラドリがあり、地名語彙としてのハチャム(サクラドリ)を「永田地名解」から七箇所紹介している。

「永田地名解」とは明治24年に北海道庁属永田方正が著した「北海道蝦夷語地名解」のことで、手元の本は昭和47年に復刻されたもの。前書の該当頁を繰ると、札幌郡のハチャムペツ「桜鳥川 桜鳥多シ故ニ名ク 松前氏ノ時ハツサブト訛リ石狩十三場所ノ一タリ 今発寒村ト称ス」とある。二つ目は檜山郡のハチャムペツ「桜鳥川 アッサブト云フハ訛ナリテ」と厚沢部のことであり、三つ目は夕張郡のハチャムペツ。これは栗山あたりとおもわれるがそこまでは記されていない。

アイヌ語地名は植物由来の地名に比べると、動物由来の地名は極端に少なくシカ、ウサギ、カラスガイ、イトウ、チョウザメなどいわゆる食料動物に係わるものがほとんどだ。なぜ主たる食料にもならないムクドリ地名が広い範囲でみられるのだろう。これが一番目の謎。

二番目の謎として、ムクドリは北海道では一年中いる鳥ではなく(昨今は一部が越冬する)夏鳥なのだから、地名にふさわしい動物であるのかということだ。例えはよくないが、カラスのとまっている電柱から左に入ったところが自宅ですというのに似ていないだろうか。

アイヌ語地名研究者山田秀三は、誰がみてもよくわかる地形などが地名になっているということを書いていた。それで今度は「札幌のアイヌ地名を尋ねて 山田秀三」を見る。発寒の項では松浦日誌もひいている。「ハッシャム(土人は)本名ハシャムと云楼鳥の如き鳥多きより号るとかや」
また本文中「但し知里さんは、永田翁の発寒『桜鳥川』説には疑問を持って居られた。座談の折に、ハッ・サム(山葡萄・の傍)じゃないか知らと試案を出された。これは続けて発音すれば正しくハチャムであるので巧い事を考えられるなと驚いたのであった。但し比の種の地名は、今日になって見ると何とも確認する事ができない。」

桜鳥の謎は深まるばかりなのであった。

支部報「カッコウ」2009年5月号より

「嶮暮帰(けんぼっき)島の10年の変遷に思うこと」

霧多布湿原センター 河原 淳

道東の浜中町にある嶮暮帰島に初めて渡ったのは、10年前(1999年)のことでした。ムツゴロウこと畑正憲氏が無人島記という本を書き、ヒグマと一年間生活したということで有名になった島です。私は当時札幌で働いていたのですが、恩師の調査の手伝いで嶮暮帰島に行ったことがきっかけで、その後独自に嶮暮帰島へ調査に行くようになり、それが高じて4年前から嶮暮帰島が見える霧多布湿原センターに江別から単身赴任で勤務しています。

嶮暮帰島は岸から約1kmの沖合にあり、長さ約1.5km、幅約600m、平均標高45mの台地状の島で、かつては7世帯約20人が昆布漁のために生活していました。1975年までは通年住んでいた人もいましたが、基本的には昆布漁が行われる夏場だけ滞在し、年間を通じて完全に無人島になったのは2000年からです。海岸で人が住み、昆布を干し、台地部では、かつては牛や馬を放牧し、畑も作っていたので無人島といっても原生の自然というものではありません。1999年の調査では鳥類43種、哺乳類3種、植物は232種が確認されていますが、固有種がいるわけではありません。エゾカンゾウ、ヒオウギアヤメ、スズランなどが咲き乱れ、ハヤブサ、オオジシギなどが営巣し、夏場にもオジロワシが飛来し、ウミウやオオセグロカモメの集団営巣地もありますが、この辺では普通の景色です。

初めて島に泊まった時、昼と夜はこんなに違うのかと驚きました。日中の鳥の囀りは心地よく睡魔をさそうくらいですが、夜はコシジロウミツバメの鳴き声で20時から翌3時頃までうるさくて眠れないほど。当時の個体数の推計最高値は2万ペア、有名な厚岸の大黒島には遙かに及ばないものの、笹が繁茂していない島の約半分にはコシジロウミツバメの巣穴がいたるところにあるような感じでした。しかし日中はその存在がわかりにくいので、そのことを知らない地元では観光客に自由に歩かせていました。たぶん多くの巣穴を踏み抜き、コシジロウミツバメに影響を与えていたことでしょう。この状況を知った浜中町は島の利用制限に踏み切り、入島に際しては届け出制でガイドなしの入島は許可しないなどの対策をとって5年が経過しています。

私は、2003年に海岸で世界最小級の哺乳類、トウキョウトガリネズミを捕獲してからは、島での調査はもっぱら海岸線でほとんど台地上の部分には行きませんでした。気がついたら人が全く利用しなくなった台地上の部分にウミネコのコロニーができ、このコロニーを狙ってオジロワシが10羽ほど飛来するようになりました。人が全く利用しなくなった地域では草丈が伸びスズランは見られなくなり、ウミネコの糞で汚れ全く景観が変わったと思えるほどのものになっていました。またコシジロウミツバメは減少しているように思えます。

その変化は10年前の心地よいと思えた私の原風景からは、ある意味環境が悪化した感があります。人間の影響が少なくなったことで、より自然の摂理に委ねられた結果ですが、それは生息種の衰退や人にとって心地よい環境にはならないというジレンマに耐えるということでもあるようです。保全・保護という行動や思いには、その場所と係わった内容と度合いで変わるような気がします。利用制限をして5年を経過したので見直し作業に入っています。地元の人がどのような判断をされるのかとても興味深いものがあります。私としては、一般的に海鳥の繁殖についてはあまり知る機会がないことから、現状の遷移を維持しつつ多くの人に海鳥を知ってもらう場所であり続けていてほしいと思っています。

支部報「カッコウ」2009年4月号より

団地の自然、今昔

札幌支部会員 湖川敦子

私が20代から暮らしている石狩市花畔(ばんなぐろ)団地の歴史を遡っていくと、縄文時代は石狩川の河口であり、エリ(注-1)を用いてサケ漁を行っていた地です。今でも春になると、川の記憶がよみがえり道路の同じ場所が陥没する地域です。

明治中期から始った移民開拓や原野の払い下げ等により明治・大正時代は酪農地として活用され、昭和に入ってからは時代の要請に応え、水の貯えが難しい海浜砂地にも拘らず水田へと転換、並々ならぬ苦労の末に戦後は良質米生産地として知られるようになりました。

ところが、昭和40年代に入り高度経済成長による札幌への爆発的な人口の集中と農家の後継者不足が重なり多くの農地が大規模団地(ベッドタウン)へと変貌したのです。

働き盛りの30・40代の家族を中心に一斉に入居が始まり、私達も1978年10月29日に越してきました。その夜、10cmほどの積雪になり、次の日から往復2時間余りかけて雪景色の中を通勤するという慌ただしい日を送っていました。

春になり札幌では百花繚乱、鳥(当時はカラス・スズメ・ハト・カモメ位しか知らず、わからず)や虫も賑やかに生を謳歌する季節になりました。でも、我家の周りは静かです。この不思議な感じの原因は、春の陽射しがあるのに蝶もスズメもいないことだと分かり愕然としました。1区画、100坪程あるとはいえ、造成地の土を5cmも掘ると、砂地で、しかもほとんどの家の庭作りは始まっていませんでした。戸外では強い風と共に黄砂が大陸から容赦なく吹きつけてきます。昔の砂丘を利用した、池のある近くの公園の樹も街路樹も育ちが悪く細々としたものだったのです。

そうとはいえ、高い建物がない空で繰り広げられる、ドラマチックな夕焼けの素晴らしさと瞬く星や月の美しさ。空を見上げる楽しさを覚えたのもこの頃です。やがて、10年程経つと樹々は立派な木蔭を作るようになり、あまり手をかけていない我家の庭でも桃の木がいくつかの実をつけるまでになりました。

その頃には、シジュウカラ、カワラヒワ、アカゲラ、ツグミ、シメ、カケスと、様々な鳥が目を楽しませてくれるようになりました。近くの川原で真っ黒な頭で胸がオレンジ色の名も知らない小さな鳥(ノビタキ♂)を見た時の驚きと胸の高鳴りは今でも忘れられません。数年前からは、公園の池にアオサギが来るようになりました。

しかし、2004年9月の台風で、剪定され続け根元からほとんど同じ太さになっていた街路樹が何十本も根こそぎ薙ぎ倒されました。昨年春には、公園でのびのびと立派な大木に育っていたドロノキが「雌花による被害届け」を出され、切り倒されました。

団地となり30年以上、成長を楽しみに育ててきた庭木も、大きくなり過ぎた、車庫スペースにする、流行りのガーデニングにする、更地にするなどの理由で緑が失われています。また、秋になると、街路樹の剪定が入り、実が付いているナナカマドまでバッサリと切られてしまい、やがて渡ってくるツグミやレンジャクを思うと胸が痛みます。ムクドリとヒヨドリは増えているような気がしますが、ここ数年、カッコウ、エゾセンニュウはめっきり減り、カケスやオオアカゲラは姿を見せなくなり、シジュウカラは漸減傾向です。

何処でも私たちを取り巻く環境は変化しながら様々な営みを続けていますが、野外で見上げる空や、耳を澄まして聞く音は、いつも期待で胸膨らむものであって欲しいと願っています。

支部報「カッコウ」2009年3月号より

ウトナイを歩む 〜傷病鳥獣と向き合いおもうこと〜

ウトナイ湖野生鳥獣保護センター 加藤 智子(かとう のりこ)

視線を正面にむけると、木の葉がおちたミズナラやハンノキの木々が寒さの中ひっしと並び、カラ類が舞い、カササギが群れをなし、オジロワシが空を翔ける。職場のデスクからみえるこの風景は、四季それぞれの表情を映し出してくれます。

私が勤務するこの職場は、苫小牧西部に位置するウトナイ湖のほとりにある、ウトナイ湖野生鳥獣保護センターです。「野生鳥獣との共生環境整備事業」の第一号として設立され、環境省と苫小牧市が共同で運営する施設です。私は、その業務の一つである、傷病鳥獣救護を担当しています。これまで獣医師として勤務していた小動物病院とはちがい、現在の患者さんはすべて「野生の生きもの」です。

平成14年度にこのセンターが開館し、今年で8年目を迎えます。これまでの保護鳥獣は種数としては150を超え、総個体数としては1000を超え、残念ながら保護状況は、いまだ減少傾向をみせておりません。

保護対象となる傷病鳥獣たちは人為的な要因で傷ついたものたちのみです。最も多い要因としては、建物や窓ガラスなどの人工物への衝突。次いで、交通事故や誤飲、過剰保護など挙げられます。これらは人為的といっても、けっして意図的に発生したものではなく、ただ私たちがなにげなく暮らしているというだけで引き起こしてしまっている事故です。

住宅街で民家の壁に衝撃し、翼の骨がとびでたり、片目がつぶれたもの。水辺に落ちている釣り針を誤飲したことで、餌がとれず衰弱していったもの。ネズミ捕りにかかり全身の身動きがとれず、外敵に襲われたもの。人工物に足をひっかけ、ひざ下が切断されてしまったもの。それらの事例を目の当たりにし、私は初めてその事故の多さ、原因の複雑さを知ることになりました。

そんな彼らのケアに携わり約2年が経過しました。これまで出会ってきたどの傷病鳥獣たちを振り返っても強く印象に残るのは、恐怖におびえながらも、生きる姿勢をさいごまで曲げない姿。彼らは小さくもたくましく、その姿に私はどれだけ“生”の大切さを学んだことでしょう。

いつのまにか、“傷病鳥獣救護”の仕事に、傷の手当だけではなく、彼らのありのままの姿や、彼らから感じた“生”“命”の尊さを、いかに社会へ訴えていくかを考えるようになりました。本来であれば消えて、自然の一部に戻るはずだった命かもしれませんが、こうして出会うことができた意味をとらえ、彼らの“生 ”を最大限に引きだすことが私の使命ではないかと、今、感じております。

ウトナイでの活動をはじめて、2年。これから、まだまだ多くの傷病鳥獣たちと出会い、向き合うことになるでしょう。私は彼らのメッセージを受け止め、どれだけ発信していけるか、この場所から一歩一歩、歩み続けていきたいと思います。

支部報「カッコウ」2009年2月号より

カラス三昧な日々

野鳥の会札幌支部会員 札幌カラス研究会代表 中村 眞樹子

多くのバードウォッチャーが気にも留めない鳥がいる。スズメやヒヨドリも「な〜んだ!」と言われてしまうのだが、この鳥の場合双眼鏡なんか使わなくても目視で分るので、なお更誰の目にも留まる事がないのである。一体その鳥ってだ〜れ?

その鳥は世の中に知らない人はいないだろうと断言できる「カラス」である。一口にカラスと言ってしまうが、正確にはカラスという鳥はいない。カラスという名は「科名」である。一派一絡げに呼ばれてしまう鳥もカラスだけだろう。他にそんな鳥っていたっけかなぁ。私達の身近にいるカラスには「ハシボソガラス」と「ハシブトガラス」がいる。今回はこの2種を踏まえた上で敢えて「カラス」と呼ばせてもらう事にする。

私が毎日自分のフィールドに行き最初に何をするのかと言うと「カラス達の出席を取る」のである。つまり縄張り内にきちんとご出勤しているかどうかである。カラスはゴミ回収や天候の変化によってご出勤時間にズレが生じる事が多い。繁殖期が終わり雛が独り立ちを始めると縄張りを留守にする事が多い。しかし決して縄張りを捨てた訳ではないので必ず戻って来る。その時を待つのである。常に忍耐が必要である。しかしカラスのご出勤を待ちながら他の鳥を観察できるので決して苦にはならない。むしろ楽しくて仕方がない。

カラスを好ましくないと思う人が多いなか私は何故ここまでカラスに惹かれるのだろう。よく問われる事でもある。「カラスの何処が魅力なんだ?」とか、「カラスを保護しているのか?」と誤解をされてしまう事もある。私はカラスを保護しているつもりはない。ただ、カラスが他の鳥同様に扱って貰えたらという気持ちだけである。

カラスと人との軋轢は大きい。特に繁殖期は人間側がヒートアップしているかのようにも思える。冷静になって考えればカラスだって子供を守るため必死なのである。「カラスに突かれて怖かった」という人がいるのだが、これ自体が勘違いである。カラスを含め鳥は飛びながら突く事は体の構造上不可能ではないか? 突くためには足を踏ん張らないと無理である、もしも本当にカラスに突かれたのならば、少なくてもそのカラスは頭に止まり突いたという事になる。この行動は野生では考えられないので人に飼われていたカラスかもしれない。ちなみにカラスは突くのではなく反動を付けて「足で蹴る」のである。今まで突かれたと思っていた方々はこれを読んで勘違いだった事を分って頂けただろうか?

カラスの頭の良さはもう知られているので敢えて書かない。頭が良いのと同時に好奇心旺盛だという事である。春と秋には多くの渡り鳥が飛来し、鳥見人やカメラマンの目を楽しませてくれる。カメラマンはそれぞれにお気に入りの鳥を撮影しようと必死になっている姿を目にする。時にはそんな人達が円陣を組むように一本の木の周りに集まる事がある。しかし一本の木に集中しているのはカメラマン達だけではなかった。カラスは人が一箇所に集まり何かをしていると興味津々に集まって来る。みんなが注目している木に飛び込んでしまう事がある。「せっかくの鳥が飛び去ってしまったではないか!」と不満げな表情になっている人も少なくない。しかしながら知らず知らずのうちにカラスの好奇心を焚き付けてしまい呼んでしまったのは人間側である。

カラスと鳥見人。この関係は切っても切り離せないだろう。時にはカラスに嫌な思いをする事があるかもしれない。しかしカラスも生態系の一員であるという事を忘れないで欲しい。その事を頭の片隅に入れておきカラスの世界をそっと覗いてくれたら嬉しい限りである。

支部報「カッコウ」2009年1月号より