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Sapporo Chapter of Wild Bird Society of Japan

北海道と中西悟堂のことなど

日本野鳥の会奥多摩支部 高萩 至

私は昨年の夏まで、中西悟堂研究会の事務局を与っていた。悟堂研究会は、日本野鳥の会創始者中西悟堂精神の復活を目指し平成十七年春発足した。

世話人は、津戸英守(悟堂直弟子)、中村滝男(元日本野鳥の会専務理事)、鈴木君子(日本野鳥の会専務理事)と私の四名で、現在まで会報誌「野鳥居」二号までを発刊、現在三号編集中。

研究会が行った「中西悟堂事跡の旅」は「野鳥」誌に不定期に掲載している。創刊号への寄稿願いを悟堂ゆかりの方々に送付したところ、元札幌支部長の土屋文男先生から寄稿する旨のお電話を頂いた。

土屋先生は『定本野鳥記』の月報8(昭和五十四年四月二十五日)に「中西悟堂先生の体操」、『悟堂追憶』(平成二年十ニ月)に「生涯一書生」の文章を寄稿された。

悟堂は、昭和十四年七月下旬から八月初め、昭和四十年八月末の二回、北海道へ渡っている。

一度目は八重子夫人の兄が道庁総務部長に赴任した時に妻子を伴って訪ねたものと思われる。

この時の紀行文は『野鳥記』第七巻・平野と島の鳥に「北海道の原野と島」、第六巻・雲表に「大雪山紀行」として載っている。

七月二十三日夜札幌を井上元則氏(後の農博)の案内で野幌林業試験場の官舎に赴き、かねてからの憧れの野幌国有林の野鳥群への訪問が始まった。

「早く行かないとエゾセンニュウが鳴きやむから」と井上氏は足を早める。

トッピンカケタカが聞きたくて早朝三時半に床を離れた。

オカトラノオやメマツヨイグサの花の路傍の野地に坐って耳を傾けるその声を、悟堂は始めてきくものだった。

本州の山では少ないハリオアマツバメの群舞に感動し、低い牧柵にとまって囀るシマアオジに嘆声が洩れる。ベニマシコをその生息地で夏鳥として始めて見た。

二十五日から二十七日は厚岸の臨海試験場・大黒島・厚岸湖・ベカンベウシ河口・尾幌川を山階芳麿侯爵等と訪ねた。山階侯爵との別れに名残を惜しんで弟子屈へ向う列車に乗る。

二十八・二十九日は屈斜路コタンを詩人の更科源蔵さんと訪ねた。源蔵さんとは昭和三年悟堂創刊の詩誌『濶葉樹』による交わりである。

源蔵さんの『屈斜路コタンの野鳥群』に触れる。ここでは鳥はいかにアイヌの中で生活化され、神聖化されていることか。一番偉い神はシマフクロウのコタンクルカムイ(部落を守る神)、エゾフクロウのクンネレカムイ(夜の神)など鳥はみんな神様なのだ。

源蔵さんの家の二階で熊皮を敷いて語った一夜はめったにない楽しい一夜だった。源蔵さんとの再会がこの旅の目的のようだった(その後の美幌峠、屈斜路、摩周、阿寒等の旅の記は省略された)。

八月一・二日は釧路、丹頂生息地を訪問。

八月四・五日は旭岳を試みるが、猛烈な風と霧で諦めている(大雪山紀行)。

二度目の北海道は昭和四十年八月二十六日から三十日の利尻・礼文島。

羽田から千歳へ飛んだ悟堂は札幌のホテルで北大の犬飼哲夫博士・道庁の斉藤春雄氏と会うが、その席に札幌市東保健所長土屋文男医博も同席された。

旅の模様は「火の島利尻 花の島礼文」として『野鳥記』一二巻に収められた。

「あいにく鳥の観察には最悪の時期であった。それでもこの両島は、私だけの単独行動で再度行きたい意欲をそそられるだけのものは十分にあった。今回は予備旅行だ。」

私も平成十二年七月、札幌の臼田正さんのお膳立てで礼文島の探鳥を経験した。

木内宏『礼文島、北深く』に触発され、途中から雨に祟られて、辿り着けなかった宇遠内を今も幻想する。

私が始めて北海道を訪れたのは、半世紀も前の昭和三十四年五月初旬。札幌の友人・HBCの深谷勝清を頼って、道東から道南を二週間かけて巡った一人旅だった。

コースを記録したHBCのメモ帳と根室から歯舞行きの切符が一枚残った。原野を一人とぼとぼ歩いていた折、雷鳴のような音をたてて畑に急降下してきた中型の鳥が忘れられない。

支部報「カッコウ」2008年1月号より

私の鳥見スタイル

札幌支部会員 釧路市在住 今井 雄二

過日、支部長よりこの冬道東へ鳥見を計画している人に何か鳥情報を書け!!との強い?依頼があり引き受けたものの、さて何をどう書けばいいやら。そもそも私の鳥見スタイルは、図鑑はどこへ行ったやら、記録を付けず双眼鏡はキノコ探し用となっています。

そんな訳で鳥情報といっても・・・・・。無難な所で、「タンチョウ」居ます。牛舎に入ってエサ取りしている奴、犬のゴハン横取りしている奴、人間に向かってくるのもいます。前蹴り強そうです。

「オオワシ・オジロワシ」居ます。羅臼にはワシの熟る木があります。(昔程ではないけれど)ワカサギ釣りをしていると「おもらいワシ」が近寄って来ます。ツルもワシも沢山います。そしてすぐに飽きます・・・・多分。

「シマフクロウ」居ます!!でも見られません。頑張って探してください。「海ガモ、カモメ」居ます。でもサッパリ解りません。頑張って調べてください。以上、鳥情報でした。(って、それだけかい!!)

ウーン、じゃあ鳥以外ですこし。「エゾシカ」これは居る。ウジャ〜居る。羅臼の町では横断歩道で青信号を待っていると一緒に並んで待っています。冬になると病院の自動ドアーの前に立ち暖を取ってます。先日札幌でシカが出たって報道を見ましたが、こちらではシカが居なくなればニュースになるでしょう。

「ヒグマ」これも居ます。でも滅多に見られません。とは言え冬眠前の今は食欲旺盛、木の実、キノコ、魚と何でも喰べます。私の趣味と重なるので厄介です。万一出会った時には・・・・「まあ待て、話せば分かる」「金ならあるぞ」とでも言って下さい。結果は・・・・保証できませんが。山や川に入る際はそれなりの準備と覚悟の上でどうぞ。

「キツネ・タヌキ」一時より見かけなくなりましたが時々「おもらいキツネ」が出ます。キャー可愛い!ってエサを与えてはいけません。この連中、意外にも札幌薄野に生息している様です。時々人を化かします。私被害者です。エッあなたも!お互い御用心〜。

さてこの時期もっと怖いのは、「ヒト」今の季節シカ撃ちのハンターが山に入っています。山中で聞くライフルの音、これは怖い。身が縮みます。何発もたて続けに聞くと腹が立ってきます。「下手な鉄砲もってやっか」と叫びたくなります。

私の友人のハンターは20年程前シカと間違えられ誤射で亡くなっています。あなたのそのフワフワの真っ白い帽子、薄茶のコート、お〜シカによく似ている。服装はハンターによく目立つ色合いの物にして下さい。

長々書きましたが鳥情報が少なくてスミマセン。道東は雪も少なく道路も広く、その上車も少ないので快適なドライブが楽しめますがスピードには注意して下さい。特に夜間は道路の真ん中でシカがボーッとしている事がよくあります。そして車のライトに驚いてよく転びます。そしてあなたの車はアイスバーンで、ヒャー!!。シカは修理代を払ってくれません。

こちらの交通安全標語に「走る道路はシカばかり」と云うのがあります。看板に偽り無しです。ゆっくり、のんびり行きましょう。

運の良いあなたならきっと「シマフクロウ」にも逢えることでしょう。

支部報「カッコウ」2007年12月号より

ハサンベツ里山づくりの取り組み

栗山町ハサンベツ里山計画 事務局長 高橋 慎

「こんなにたくさんのトンボが帰ってきた」と作業の手を休めて、夕焼けに染まっていくハサンベツの沢の秋空に群れ飛ぶ赤とんぼ(アキアカネ)を見上げながら腰を伸ばす。

上空にオオタカが旋回し、遠くからクマゲラの声が聞こえる。目の前のオンコの木には、ヤマガラが頻繁に訪れ実を運んで行く。トウキビ畑には、もうカケスが降りてきた。

何かしらなつかしい情景が心の中に広がり満たされた気分になった。里山づくりをはじめて6年目。里山の川や池、田んぼに地域の子どもたちの歓声が響き、シオカラトンボやオニヤンマなどなつかしいいろいろな生き物が息づき始めた。まずは目標達成と喜んでいる。

今、栗山で私たちが進めていることは、農業が育んできたたくさんの生き物たちの復元にあるように思える。人が生きていくために必要な食べ物を生み出している農業が、共に生きてきた生き物たちの命と引き換えに発展してきた近代農業のあり方は何であったのか。このことの答えのひとつでも解決できる道筋を明らかにしたいという願いが原動力なのかも知れない。

20年計画策定にあたり、実行委員めいめいのプランを童謡の歌詞になぞり以下のプロジェクトとして事業展開し、着実に成し遂げてきた。


  1. 「春の小川はサラサラ」プロジェクトー2kmの小川の造成

    • 川や池の動植物生態観察ードジョウやトゲウオなど普通の生き物の生息地づくり
    • 川づくり体験学習ー森と土と川と海と大気をめぐる水の循環と人の暮らしの関係
    • 魚道づくりー海と川を往来するサクラマス・カワヤツメ・モクズガ二の遡上
    • 里山にすむニッポンザリガニやエゾサンショウウオなどの生息地づくり


  2. 「ホーホーホタルこい」プロジェクトーヘイケボタルの繁殖地完成

  3. 「夕焼け小焼けの赤とんぼ」プロジェクトー小川・池の造成(多くのトンボ回復)

  4. 「ミズバショウの花が咲いている」プロジェクトー苗畑・繁殖地造成

  5. 「菜の花畑に入日うすれ」プロジェクトー田畑造成

  6. 「ゴトゴトゴットン〜水車」プロジェクトー水車設置

  7. 「森の木陰でドンジャラホイ」プロジェクトー炭焼窯設置・チッパー購入

    • 50ヘクタールの雑木林の町民有志からの寄贈「遠藤さんの森」他ー共生の森と命名し将来に引き継いでいく
    • 森の小径の自然(土壌)観察会 ・植樹活動 ・冒険の森ーツリーハウスづくり
    • チョウの森、クワガタムシの森づくり
    • 恵みの森づくりー「栗拾い」遠足、木の実、きのこ採り
    • 雑木林づくりー間伐、下枝払い


  8. 「カッコウカッコウ鳴いている」プロジェクトーオオタカ・クマゲラの営巣

    • 里山の森や水辺にすむ鳥の生活の場づくりー営巣地と餌採り場の調査と環境づくり


  9. 「歴史の足跡をたどる」プロジェクトー旧道の復元

  10. 「野外スポーツの場づくり」プロジェクトー観察コースの一部造成

私たちが2001年から栗山町で始めた、北海道ではあまりなじみのない「里山」という言葉を使った取り組みの根底にあるのは、市街地と農業地、都市と農村の接点の場づくりを人と人との交流を通して創りあげて行こうという栗山町民を含めた実行委員の確かな思いである。農作物の流通、農薬やクリーン農業、環境、国際化、農村地域の崩壊、生産者の高齢化など農業が抱える課題は多い。失いつつある生産者の希望や誇りに少しでも応援できたらと願いながら、里山計画の活動の中心的柱に農業の技術の伝承を据えている。

国は、自然再生法制定や河川法・土地改良法を改正し、開発行為に環境配慮と地域住民の意向反映を謳った。私はこうした動きの中で、滋賀県や福岡県が既に導入している農業とたくさんのいきものたちとの共生を可能とさせるための直接支払い制度の北海道での実現を夢見ながら、その糸口のひとつでも見出せればと思い、里山に通う毎日である。

励みはいつも、四季折々に私たちを迎えてくれる野鳥や虫の声であり、木々や野花のかおりであり、小川のせせらぎの音と沢をわたる風の心地良さである。

支部報「カッコウ」2007年11月号より

好きな物

写真工房ヤチネズミ 主宰  小原 聡

好き嫌いのない人間であったが、最近になって好みの変化に気が付いた。小さな丸い生き物に強く惹かれるのである。
ミソサザイ、ニホンザリガニ、ヤチネズミ・・・キクイタダキの正面顔、エゾモモンガのお尻。
今回は、そんなちょっと怪しいオジさんが5年間、ほぼ毎日観察を続けたエゾモモンガについて話したい。

きっかけはよく覚えていないが、エゾモモンガにむしょうに会いたくなったのが2000年の初冬だった。
地元である札幌で観察したかったが、人の多い札幌での生息地は山奥だろうと思いこみ、多少知識のあった旭川通いが始まった。
運良く、毎回エゾモモンガに会えるようにはなったが、寒い。マイナス20℃を下回る日々が続いた。情熱とやけくそでなんとか春まで観察を続けた。
2001年晩秋、その年の旭川計画をウキウキしながら立てていた頃、その当時勤めていた職場近く、札幌の真駒内川河畔林で偶然見つけた。
紛れもないエゾモモンガの食痕である。興奮しながら辺りを探すと、あった、ウンチのついている樹洞。
嬉しさ半分、怒り半分。そのエゾモモンガの樹洞に向かって「4ヶ月分の旭川までの高速代、ガソリン代をどうしてくれる」とつぶやいてみた。

その後は、札幌で、日中はエゾモモンガの樹洞探し、朝・晩は観察という日々が始まった。
探した樹洞は203ヶ所、そのすべては札幌の森に広く散在していた。
その中でも生息密度が高いのは、樹洞が出来やすい老木や枯れ木が残っている藻岩山などの原生林もしくはそれに近い森との印象を持った。
エゾモモンガが確認できなかったのは、平岡公園、月寒公園、北大構内等、分断された孤立林であった。

さて、エゾモモンガについての生態等は、書籍、テレビ等で多数紹介されており、私がここで紹介するまでもないと思うので、知り得た鳥との関わりを少し報告させて頂く。
「エゾモモンガは鳥の卵を食べる?」という質問をしばしば受けるが、エゾモモンガが昆虫等の動物タンパクを食する行動は見たことがない。
シジュウカラの営巣樹洞を奪って?(註1)子育てしたこともあるが、その卵はエゾモモンガの巣材の下に埋まっていて、食べた形跡は確認できなかった。
エゾモモンガが鳥の雛、卵を食べる事はないと思う。
ただ、樹洞で営巣する多種の小鳥たちは、エゾモモンガが増えすぎると、樹洞をめぐるエゾモモンガとの競合にさらされ、子育ての場が減少する可能性がある。
この辺は充分な観察が出来ていないのだが、体の大きさ、気の強さからエゾモモンガと対等に渡り合えるのはヤマゲラ以上で、ひょっとしたらアカゲラも負けるかもしれない。
知り合いの自動撮影装置にアカゲラを追い回すエゾモモンガが写っていた事がある。
エゾモモンガが身を守り、子孫を繁栄するために一番重要なのが樹洞であるが、その樹洞の51%はアカゲラを中心としたキツツキ類の古巣であった(註2)。
恩を仇で返すとはこの事であろう。
最後に、小鳥の好きな皆さんへ、エゾモモンガはフクロウ、オオタカ等の大好物なので、それらが暮らす健全な森では、エゾモモンガが増えすぎる事はないと思っている。
毎年、空になった樹洞で、ゴジュウカラ、コムクドリ、ニュウナイスズメ等が繁殖している。

さてさて、エゾモモンガについては、5年間の観察で自己満足した。
今後は丸く、より小さいホンドモモンガを追いかけようと思っている。オジサンの怪しさにますます磨きがかかる。

(註1)なんらかの理由でシジュウカラが営巣放棄した後にエゾモモンガが入った可能性が有る。

(註2)冬期間、札幌で確認したモモンガの営巣木203本中、キツツキ類の古巣65本、枝折れ等による自然に出来た樹洞63本、不明73本、その他(廃棄物等)2。

支部報「カッコウ」2007年10月号より

鳥のあれこれ

日本野鳥の会 徳島県支部 雑賀 敬章

徳島県支部に入会して数年たって、他支部にも入会できる制度があると知って、一度訪れて美しい北の大地に憧れていた私は、早速札幌支部に入会したのが95年で、以来13年になります。
最初は支部報を見るだけと思っていたのに、それだけで我慢できずに探鳥会に参加するようになったものです。

円山探鳥会に参加する傍ら、数年前から多少時間に余裕が出来るときがあって、そのときは主に東南アジアを歩いてきました。一番最初に行ったのがタイ国の映画「戦場にかける橋」でよく知られているクワイ川に行きました。
2月だと云うのに川辺にあるレストランではツバメが飛び交っています。やはり南国に来たのだとおもいました。それとスズメは日本のスズメとほぼ同じなのに、隣国のミャンマーのスズメは、黒ずんでいて少し違います。
パゴタの都市バガンではパゴダの間にある雑木にカラムクドリが多数群れていました。ベトナムのメコン河にある中島で、ハッカチョウが篭に入れて飼われていました。簡単に捕らえることができるのかなと、思っていましたが、最近にいったタイのパタヤでは、養魚場のシーフードレストランで昼飯を食べていたらすぐそばまで、ハッカチョウが飛んで来ました。
パタヤのホテルのプールの椰子の木には、最近沖縄でも観察できる、ヒヨドリの仲間のシロガシラを多く見ることができました。

バンコクやベトナムのホーチミンのホテルの周りには、アマツバメの種類が多く飛んでいますが、窓越しに写真を撮ろうと待っていても、なかなかファインダーにはいらず、ベランダに出ると近寄らず、写真を撮るのもなかなか難しいと、思いました。
カンボジアのアンコールワットに行ったときに、頭上に大きな鳥が飛んできたので、写真をとり、後日拡大してみたところ、コウノトリの一種であるナベコウでした。
またタイのバンコク市内の水上マーケットに行く途中の運河では、レンカクが10数羽いて、徳島の蓮田にいた1羽と比べて、数の多さに感激しました。バンコク市内を流れるチャオプラャ川にも多数の水鳥が浮かんでいましたが、もっていった東南アジア水鳥図鑑でも、分からず悔しい思いをしました。

ロシアのウラジオストックでは、行ったのが5月であったので海沿いには数多くのカモメ類やキンクロハジロなどのカモ類がいました。又、内陸部ではカササギが多くいて町でも見ることが出来ます。又、ロシアの火力発電所や工場の煙突からは黒い煙がもくもくと出ており、環境面での遅れが現実として見ることが出来た。

又、街中を走る車はほとんど日本製の中古車であって、ロシア製の車よりも日本の中古車の方が値段が高いが、港には日本の港から運んで来た車が並んでいる。あまりの日本車の多さの為ロシア政府が右ハンドル車を規制しようとしているとかで市民は大反対しているとのことであった。

このように鳥を肴にしてこれからも旅して行きたいと思っています。

支部報「カッコウ」2007年8,9月号より

ハヤブサと農薬汚染

黒澤 隆(日本オオタカネットワーク役員)

今年はレイチェル・カーソンの生誕100年にあたるので、農薬による環境汚染とハヤブサについてお話したいと思います。

ご存知のように、カーソンは1962年に「沈黙の春」で、DDTに代表される有機塩素系農薬による環境汚染に警鐘を鳴らしました。現在でもDDTが使用されている地域や国はありますが、幸いなことに、欧米諸国では1970年代にDDTの使用が禁止され、鳥のさえずりが聞こえない「沈黙の春」を迎える事態を一応避けることができました。
しかし、このDDTは食物連鎖の頂点に立つハヤブサなどの猛禽類に生物濃縮というプロセスを通して、深刻な影響を及ぼしたのです。有機水銀に汚染された魚介類を食べた人が水俣病を発症した過程と同じです。

カーソンの「沈黙の春」が世に出る少し前、イギリスでは「レースバト協会」がハヤブサを駆除できるように、保護の対象種からはずすよう政府に陳情していました。ハトを捕食するハヤブサはハトの愛好家たちにとって、許しがたい存在だったのです。
このとき、レースバト協会が騒ぎ立てないでいたら、ハヤブサは絶滅していたかも知れません。ハヤブサを絶滅の縁から救い出すきっかけを作ったのは、皮肉なことにハヤブサを敵視していたハトの愛好家たちでした。

レースバト協会の陳情を受けて、政府は「英国鳥類学協会(BTO)」にハヤブサの調査を依頼しました。調査の結果、レースバト協会の主張とは反対に、ハヤブサの個体数が半分以下(戦前の水準の40%)に激減していることがあきらかになりました。調査の指揮を取ったデリック・ラトクリフ博士は、残っている個体の繁殖率の低下にも気づきました。

孵化しなかった卵を調べたところ、卵の殻が正常な卵より20%も薄いことがわかりました。卵殻が薄くなると、抱卵中に親鳥の体重で割れてしまうのです。DDTが使用されるようになってから、ハヤブサの卵の殻が薄くなったことを証明できたのは、またも皮肉なことに、ハヤブサの敵のおかげでした。
日本ではあまり耳にしませんが、イギリスには野鳥、特に希少種の卵の収集を趣味にする人たちがいました(今もいます)。ハヤブサの卵もコレクターのターゲットになっていました。
ラトクリフ博士は、コレクターが秘蔵していた過去の卵の大きさと重さを計測して、DDT使用後の卵は殻が薄くなっていることを立証したのです。何十年にもわたり卵を取った行為は決して正当化できませんが、DDTの使用禁止の実現に一役買ったことは確かです。まさに禍福はあざなえる縄のごとしです。

一方、カーソンのお膝元アメリカでも調査をしてみると、ハヤブサは多くの生息地から姿を消していました。特にミシシッピー川以東の地域個体群は絶滅してしまったのです。
イギリスではスコットランドに比較的健全な個体群が残っていたので、個体群の回復を自然に任せましたが、深刻な事態に直面したアメリカでは、鳥類学者と鷹匠が一般市民の協力や支援を得て、ハヤブサの人工繁殖に取組みました。
1970年代から90年代に自然に帰されたハヤブサはカナダも含めると、7,000羽近くにのぼります。こうした地道な保護活動が実を結び、北米の空にハヤブサが帰って来ました。

支部報「カッコウ」2007年7月号より

北海道におけるセグロサバクヒタキの記録について

茨城県つくば市日本鳥学会日本産鳥類記録委員
池長裕史

日本産鳥類目録第6版(2000年、日本鳥学会)によると、セグロサバクヒタキOenanthepleschankaは北海道、本州、舳倉島及び対馬から10例程度の記録しかない迷鳥とされている。

日本鳥学会の日本産鳥類記録委員会で、本種の国内での記録を調べた際に、それが意外に多いことに驚いた。
野鳥の会の支部報等を含め、何らかの形で印刷物になっているものだけでも20例を超えてしまったので、「記録僅少種」を扱った「日本産鳥類記録リスト」からは除外することになったが、せっかくとりまとめたので、もう少し情報を追加して発表しようと考えている。
印刷物以外にも、インターネットのサイト上にも本種の記録が散見されたので、ホームページのオーナーに連絡して、それらを「私信」として情報提供していただいた。

これまで北海道からは小杉(1991)による1991年4月28日の利尻島での記録が唯一の報告とされていたが、寺沢さんによる天売島の自然情報に関するサイトの鳥類リスト(http://www.teuri.jp/birdlist.html)で、本種が1986年5月4日に天売島で観察されていることがわかった。
このリストでは種名のみで雌雄も個体数も観察者名も不明だったので、詳細を確認しようと寺沢さんに問い合わせた。
けれども、20年以上前の記録なので、寺沢さんも1羽だったという記憶以外、野帳にも「種名のみの記載であり、野鳥の会札幌支部の探鳥会のグループと観察したことが記されている」とのことで詳細は分からないとのことだった。そこで札幌支部に問い合わせたところ、事務局の住友さんから、野生生物情報センターの主催のツアーをガイドされ、1羽を観察したことは記憶しているが雌雄は記憶にない、とのお返事をいただいた。
本種が観察されたことは確かなようだが、何とかそれ以上分からないかと思案していた折に、住友さんから再度、日本野鳥の会北海道ブロック支部連合協議会の北海道地域別鳥類リストに記述があり、斎藤暢という方による写真記録があるらしいことを教えていただいた。
このことを寺沢さんにお伝えしたところ、斎藤さんは寺沢さんの教え子とのことで、ようやく写真にたどり着き、その写真から件の個体がオスであることが判明した次第である。

この記録が、おそらく北海道における本種の初記録であったと思われる。
記録の「発掘」にご協力いただいた寺沢孝毅さんと住友順子さんにお礼申し上げる。

参考文献

  • 小杉和樹(1991)利尻島で観察された稀少種の記録.日本鳥学会誌 40:36-40.
  • 日本野鳥の会北海道ブロック支部連合協議会(1991)北海道地域別鳥類リスト.野生生物情報センター,札幌市
  • 寺沢孝毅(2000)島の野鳥.北海道新聞社,札幌市.

支部報「カッコウ」2007年6月号より

無人島モユルリ島の現在

日本野鳥の会十勝支部 ゼニガタアザラシ研究グループ 千嶋淳

根室半島の付け根、落石岬沖合の太平洋上にモユルリ島という無人島がある。
周囲3kmの小島だが、断崖に囲まれたテーブル状の島は、半島から見ると海上に浮かぶ航空母艦のようだ。
この島は、隣のユルリ島と合わせてエトピリカやチシマウガラスなど北方系海鳥の繁殖地として古くから有名で、道の天然記念物にも指定されている。

私は13年前から、この島にゼニガタアザラシの生態調査のために、関係機関の許可を得て通っている。
在島中の主な仕事は島周辺の岩場に集団で上陸するアザラシの頭数や性比を数え、体表に散らばる斑紋から個体を識別して記録することなどだが、それらの合間に海鳥を観察することも楽しみの一つだ。
島の海鳥・海獣の近況を簡単に紹介したい。

僅か十年少々の間にも、海鳥の生息状況には大小の変化があった。
最も大きな変化は、オオセグロカモメの激減だろうか。最初に島を訪れた時、足の踏み場もないくらいの数に圧倒された。
当時数万羽ともいわれた本種は、希少種への悪影響も指摘されていた。しかし、その頃流氷を伝ったのかキツネが1頭島に渡り、多数のカモメが食べられた。
キツネは同年中に排除されたが、一度減り始めたものは加速がつくようで、そうしているうちに今度は、かつて人間の持ち込んだドブネズミが目立って多くなってきた。
ネズミはカモメの雛や卵を相当捕食しているようで、この数年はネズミの渡れない離れ岩以外ではほとんど雛が育たない状況が続いている。
ドブネズミは当然、ほかの海鳥の繁殖にも影響を与えているだろう。

天然記念物の島への人間の上陸が、厳しく規制されているのは前述の通りだが、海上からの接近に関しては何の規制もない。
そのため、釣り船や漁船が日常的にやって来て、海鳥やアザラシの繁殖地のすぐそばに長時間滞在することもある。
採餌域も含めた周辺の海上には定置網や刺網が稠密に張り巡らされ、実態は不明なものの混獲が懸念される。
海上や海岸のゴミも多く、数年前にはゼニガタアザラシの新生児が投棄された漁網に絡まったことがあった。
この時はたまたま私達が島におり、またアザラシが島で唯一の浜に生きて打ち上がったために網をナイフで切って救出することができた。

このように天然記念物の無人島といえども、海鳥・海獣にとっては決して安住の地ではないのがモユルリ島の現状である。
それでも滅ぶことなく、細々と続いているのが不思議に感じる時さえある。
詳細は省略するが、私のゼニガタアザラシ調査からは南千島(北方四島)と季節的な移動・交流があり、そうした中からモユルリ島に定着して繁殖する個体のいることが示唆されている。
南千島の大部分はロシアの自然保護区として海上も含めて手厚く保護され、海鳥・海獣が豊富なことで知られている。
南千島の原生的な自然環境があってこそ、道東の個体群がかろうじて維持されてきたのだ。
おそらく、海鳥でも同様の関係があるのではないだろうか。

モユルリ島に限らず、北海道の離島の海鳥や海獣を保護し、共存してゆくためには人間由来の天敵の駆除や海上保護区の設置といった局所的な保護策を講じると同時に、千島列島・オホーツク海も視野に入れた広域的な海洋生態系の保全が重要ではないかと考えている。

ゼニガタアザラシ

モユルリ島のゼニガタアザラシ

支部報「カッコウ」2007年5月号より

山岳ガイドの鳥見と夢想

日本野鳥の会旭川支部 
山岳ネイチャーガイド
柳田 和美

「鳥のことを聞いたら、叩かれそう」
とは、登山ツアーに参加している「気の良さそうな・弱そうな?」男性参加者の弁。

何のことはない。
高山植物名のガイドに全神経を集中して聞いている女性参加者の「勢い」に圧倒されて、質問しそこなった、あるいは「場違い」を感じたとのこと。
この人物、実は本州某県の野鳥の会の幹事だった方だそうで、登山終了後にこのガイドが野鳥のことはある程度わかると知って、おそるおそる質問してきた次第。
ちなみに質問されたのは、どうやらノゴマ・ギンザンマシコ・カヤクグリの声の確認だったようです。
山岳ガイドをしていると、先頭なのでどうしても鳥たちとの出会いに恵まれることが多く、得をした気になります。
前出の鳥の他、ウソ・ホシガラス・ビンズイ・ハギマシコなど高山性の鳥たちです。
参加者の中で、鳥に興味のありそうな方は双眼鏡を下げている場合があり、そんな時には喜んで説明します。
いかんせん参加者に占めるバードウォチヤーの割合は残念ながら非常に少ないのが実情で、のどから手が出るほどに、説明したいのに需要がない。
説明しようとしたら、逃げていった等々。
そんな訳でしょうか、ガイドさんには鳥は苦手という方がよくおられます。
私はひそかに一人で「鳥見」を楽しむ場面が多くあり、ガイド業に携われる幸せを感じます。
そんな鳥見でも、ガイドし易いのが、ノゴマの♂のさえずりです。
ハイマツなどの樹上付近で少しの間さえずり続ける場合があり、道外客に喜ばれるからです。

例外もありました。ガイドしにくいギンザンマシコです。
2006年夏のある日、大雪山はトムラウシ山を縦走中の出来事。
五色ヶ原の木道を歩いていると、前方の至近距離にギンザンマシコの♂出現。
それも我がパーティーの前を案内してくれるかのように、ややしばらく「ガイド」つき。
当然参加者全員が余裕を持って確認どころか、なかなか木道から離れない始末。
追い立てるみたいで、歩くのが少々もったいないくらい。ガイドをしていても、珍しい体験。
このギンザンマシコの営巣確認の初記録(1976.日本野鳥の会野鳥352号32-35)をしたのが、前旭川支部長の故石川信夫さん。
その日に亡くなったことを、翌日のトムラウシ山の山頂で連絡を受けたのを、何か因縁めいて感じました(合掌)。
初報告から30年あまり、そんなに古くはないと個人的には考えています。

誰か、ハギマシコ(営巣は確実視されている)の営巣確認しないかなーとは、黒岳→旭岳縦走中に旭岳の上部にてハギマシコを見て、考えた夢想。

支部報「カッコウ」2007年4月号より

大雪山へのお誘い

鳥類標識調査員 磯 清志

初めに、「由緒正しい新年会」の講師としてお招きいただきましたことを改めてお礼申し上げます。
大雪山の野鳥についてお話しさせていただきましたが、ご期待に応えられたかどうか心配です。

私の話はともかくとして、新年会は和気藹々とした雰囲気で実に楽しいものでした。
会員のグッチ谷口さんの話芸と手芸に大笑い、野鳥ビンゴゲームでは読み上げられる野鳥の名前に悲鳴や溜息そして遠慮がちなビンゴ!…大いに盛り上がりました。
締め括りはオークション。
将来の支部長候補(?)の鈴木君が大活躍する姿に頼もしさと希望を見ることができました。
このようなすてきな新年会に参加でき、会員のみなさんと知り合えたことに心から感謝したいと思います。
本当にありがとうございました。

新年会の折、原稿のご依頼を受け、お断りすることもできずお引き受けした次第です。
そこで、講演でお話しできなかったことを少々書いてみたいと思います。

さて、ご存じのように大雪山は一つの山ではなく山の集合体ですからその山域は広く、様々な環境を含んでいます。
垂直方向には低い方から山地帯、亜高山帯、高山帯があり、それぞれの高さに応じた森林や湿原、荒原などが存在します。
特に、高山帯は気温が低く、冬の北西風が強いなどの影響で独特の景観や生態系が発達しています。厳しい高山帯の環境に適応できた種は限られており、木本類ではハイマツがその代表ですが、とても木本とは思えないような背の低い種類がほとんどです。
このような厳しい環境で鳥たちは逞しく生きています。しかし、高山帯で暮らす鳥たちにとって、冬をいかに過ごすかが大問題です。
ホシガラスのように貯食し、山に残るものもいますが、麓に降りたり、渡りの危険を冒してもより南方へ渡るものもいます。
そして、厳しい冬を生き残ったものは、また大雪山に戻ってきます。初夏の早朝にはハイマツ帯でも鳥たちの囀りでうるさいほどです。
日本で最も厳しい環境の一つと言ってもよいこの大雪山の頂きに彼らを引きつけてやまない何かがあるのでしょう。

なぜ、彼らは毎年、大雪山に戻ってくるのでしょう。いや、本当に戻ってきているのでしょうか。
本当に同じ鳥が戻ってきているかどうかは、大雪山で繁殖した個体に標識を付け、再び大雪山で回収されるまでは、判らないのです。
大雪山生まれの「由緒正しい」大雪っ子が回収されるまで私の「大雪山詣で」は終わりそうにありません。

いつの日か、標識された鳥が渡りの途中や越冬地で回収され、大雪山で繁殖する鳥の渡りのコースや越冬地が判り、大雪山の自然とともにそれらの環境も守ることもできたら、なんて夢を見ながらまた今年もまた山に登りたいと思います。

こんなことを書くと孤高の研究者みたいでかっこいいのですが、実際はというと、日本で最も広い山岳公園の山懐で鳥たちの姿と囀りを堪能し、雪渓でキンキンに冷えたビールで喉を潤す。

嗚呼、何という贅沢!

こんな贅沢な鳥見をしたい方は是非、大雪山へお出かけ下さい。

支部報「カッコウ」2007年3月号より